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メメント・モリ-死を想え [雑文]

@化石・生き物の痕跡・人生の軌跡・死体…これらは「生」の痕跡であると同時に「死」の具象でもある。

@メメント・モリ=死を想え、という言葉がある。死というものを常に考えることによって、生をかけがえのないものとして捉え直すことが出来る。この言葉は、そういう意義を含んでいると思う。

@だいぶ以前になるが、近所で知り合いの若者が脳出血だかなんだかで亡くなった。享年31。若者の実家は小さいながら会社を経営していたので、社長である彼の父は、跡取り息子を亡くした悲しみに打ちひしがれていた。

@通夜の日に、彼の実家へ他の知り合いたちとともに行った。大広間に入ったら、彼の友達や知人が沢山集まり、故人を偲んで悲しみに暮れていた。

@仏壇の前に横たわる、その若者はまるで、生きて眠っているような風情であった。が、この個体は間違いなく死んでいるのだ。

@してみると、死んでしまった人間というのは、何故ああはつきりとしてゐるんだらう…という小林秀雄の言葉なぞ、当時の私には知るよしもなかったが、これがいわゆる「死体」というものか、死んでしまった人間というものか…という一種好奇的で、ある意味冷徹な想いが過ぎったのは確かだ。今想えば、あれは、はっきりと“人間の形をしていた”のに違いない。

@あれ以来、故人の通夜・告別式には行っていないし、死人を直接的に見てはいない。しかし、年を経るに従い、死ぬ、ということを考えるようになった。勿論自殺したいために死を考える、ということではない(学生時代に死を考えた時はあった)。

@そして死について考えるにつれ、今こうして生きていることが、かけがえのないこととして認識できるように、徐々になっていったのだろう。

@死を想うことは、生を想うこと。死について思索を廻らすことは、生のかけがえのなさ、切なさ、尊さを自分の内に強く知覚することなのである。


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