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改憲論議と「十七条の憲法」。 [雑文]

@日本国憲法制定60周年ということで、いま、改憲論議がかまびすしい。安倍晋三首相は「戦後レジームを見直す」とかいって憲法改正を推し進めようとしているが、護憲派は戦後を見直すという事は、つまり戦前に戻そうという事を首相は考えている、と捉えて、警戒感を高め、何が何でも現行憲法を守ろうとしている。そして昨日(憲法記念日)、改憲派vs護憲派が其々各地で集会を開いていた。

@しかし、安倍総理も、改憲派も、護憲派も、どうも「憲法第9条」の条文の解釈が如何のこうの、とか、「9条」の第1、2項は「国連憲章」に合わないから変えないと日本は「普通の国」になれないだの、とかいって、この国を如何したいのかという「Primsiple」の問題を置いてけぼりにし、専ら条文の問題ばかりにこだわってばかりである。

@改憲か護憲か、という二者択一的論議に疑義を唱える向きは、現行憲法に新しい時代にあった記述を加える「加憲」の考えかたを述べているが、これとて、やはり条文にこだわっていると見るべきであろう。

@同じ立憲君主国でも、英国では日本などのように明文化した「憲法」など存在しない。ただ1215年に制定された「マグナ・カルタ」(大憲章)が存在する。これには現代にも通用する法の精神がこめられている。

@そして日本には、実はそれより600年も古くから参考とすべき条文がある。それが聖徳太子が604年に制定した「十七条の憲法」である。本日更新分「茂木健一郎 クオリア日記」にその一部英訳があるので引用する。

@第1条:和(やわ)らぐを以って貴(たっと)しとし

Harmony is to valued.

@第10条:人の違うことを怒らざれ 人 皆 心あり 心各々(おのおの)執れることあり かれ是とすれば われ 非とす われ是とすれば かれ非とす われ 必ずしも聖にあらず

Not let us be resentful when others differ from us. For all men have hearts, and each heart has its own learnings. Their right is our wrong, and our right is their wrong. We are not unquestionably sages, nor are they unquestionably fools. 以上、引用終わり。

@この「十七条の憲法」の精神は、現代にも立派に通用するものである、と茂木博士は述べているが、読んで見ると、たしかにほぼそのとおりではないか。

@さて「十七条の憲法」の精神、いまの改憲派や護憲派、加憲主義者は、はたして、キチンと学んでいるのだろうか。…学んでいないからこそ、9条が如何のこうの、時代に合わないの、と、憲法の条文のスタイルにこだわってしまうのだろう。

@憲法第9条の精神は日本国内の平和はおろか、世界平和の構築にはぜひ欠かせないから、守って欲しいのだが、しかし、第9条が出来る前から、日本にはこんなに素晴らしい「調和の精神≒平和の精神」の込められた憲法が存在していたのだ。

@どうせ憲法を変えるなら、十七条の憲法に込められた「和らぐを以って貴しとし」などの精神を、プリンシプルとして導入したら、如何でしょうか。ね、安倍さん!本当に「美しい国」に日本を変えたかったら、まずはこの古代日本の法源に学びましょう!! 


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