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さらば!0系。 [雑文]

@新幹線の0系車両が、いよいよ、きょうラストランだという。今まさにTVの朝ニュース番組で、その様子を放映している。新大阪駅の新幹線ホームには、0系最後の出発を見送ろうと、鉄道ファンたちが大挙して押しかけていた。

@画面を見ていると、ホームに見なれたフロントマスクの車両が入って来た。円い眼にまるい鼻、今見ると非常に可愛らしい0系車両の丸顔である。

@ところで初めての新幹線体験といえば、私の場合、中学時代の就学旅行で、であった。乗り込んだ列車はたしかこの丸顔車両であったはずだ。載りこんでから短時間で、まさにあっ!という間の感じで、京都駅に着いてしまったことを思い出す。それ以来、0系に乗ることはなかった。

@今になって思えば、私の0系乗車体験はこれが最初で最後になったわけだ。

@この“夢の超特急”といわれた最初の新幹線車両は、歴史の記録の彼方へと、まさに今、去って行こうとしている。


@この0系がデビューしたのは、東京オリンピックのあった年。日本がまさに、激しい経済的発展のさなかにあった時代のことである。世界に追いつけ追い越せ、わっせわっせ!とばかりに、建設ラッシュに明け暮れていた真っ只中であった。0系1号車の車両の姿は、一人の板金職人によって仕上げられたという。

@今のJR側から出された難しい注文を引きうけた、当時の職人さんは「困ったけれど、引きうけたからには、職人の意地でやるしかない」と腹を括ったとのことだ。そして半年くらいかけて、1号車の車両をハンマーひとつで仕上げた。その職人さんがオーナーをしている板金工場は、今も新幹線車両のマスク&ボディを職人技のハンマーで打ち出してつくっているとのことだ。

@生まれた頃は最先端を行っていた、新幹線の0系も、その後、時代の進むに随(したが)い、だんだんと「お荷物」になっていった。最新車両は、もう300/hもスピードが出るというのに、0系は200/hのまま。時代の流れにドンドン取り残されていったというわけだ。

@時代は光の速さで進み、新しいものがドンドン生まれ、古いものは人間も含めて、前時代の遺物として、邪魔者扱いされていく。そして、そんな「過去の異物」たちは、歴史の記録・記憶の果てへと、去っていくのである。

@新幹線0系も、今正にそんな運命を辿ろうとしている。歴史的記録・記憶の彼方へ、消え去ろうとしている。多くの人の旅の思い出を作ってくれた0系は、新大阪駅のプラットフォームで、デビューの時と変わらぬくらいに、たくさんの人々に囲まれながら、ホームを離れ、最後の旅に出たのである。

@昭和という時代は、日本が軍国主義の呪詛に、完全にとらわれたあと、大きな敗戦・亡国を経験し、その焼け跡から奇跡的に蘇り、経済大国に鳴り、やがて爛熟しバブルを迎え、衰滅に向かうまでの時代だった。昭和天皇の崩御により、この時代が終わったあとに来たのは、衰滅への道程であった。新幹線0系の引退は、その昭和の一番光り輝いていた時代の残照が、完全に消え去ることを暗示しているように思える。

@昭和の残照はおおかたすでに去り、次にやって来たのは、未来に光明を失った者が前途を見出せずさ迷いつづけ、その一方で、効率、数値化、評価主義、成果主義の嵐が吹き荒れ、日本人から他者への愛が急激に喪失していくという、まさに末恐ろしい、いうなれば「超・世紀末」ともいうべき時代だ。

@我々はこのような時代に、ただ右往左往していては、何時何が来る(おこる)かわからないという、この三次元の世界にありがちな「見えざる罠」に嵌り、罷り間違えば、のっぴきならぬ不幸のルツボへと、ズルズル落ちていくだけだ。元祖超特急が去ったあと、私達はそのことにいま少し真剣に、思いを致さねばならぬのではないか。こんな時代を行き抜く為に、もっと自らの内面に、時代の荒波に打ち勝つほどの、強靭な生命哲学を持たなくてはいけないのではないか。

@いま最後の0系は、名古屋を当に過ぎ、いまごろ東京駅に着いているのではないだろうか。さらば!0系。そして、さらば、昭和の残照よ。
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