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生命哲学の根幹にかかわる難問。 [雑学小論文]

@七夕の日の翌日、明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモンで行われた、ある特別講義を聴きに行った。タイトルは「自由意志をめぐって」というものだったかと思う。


@自分達人間は、普段何気に「自由に」物事を考え、行動していると思っている。けれども、それは本当に「自由」なのか。

@最初にここ明大で、哲学を担当される合田教授が「生きるということは、自由の神秘を獲得することだ」と言われ、サルトルの「人間は、自由の刑に処されている」という言葉(“自由でなくなる自由がない”という反対概念を含んだ言葉である)やスピノザの「自然の内的必然性に従うことが自由である」との言葉を紹介され、人は何故そこに自由があるかのように錯覚して、何かに隷属していくのか、という命題を提起された。

@如何やらこの講義は、実に最初から唯では解き難い問題を提示しようとしている…。

@その後、茂木健一郎博士が登壇し、闊達な調子で講義をはじめた。物質的決定問題と自由意志の問題とは両立する、とか、幻想でしかないとされる自由意志と、因果的決定論とは両立するという理論や、量子力学と脳内現象などについての話、人脳内の社会的認知機能と自由意志の問題など、様々な難解な話が飛び出してきた。

@私はこういう難解な問題を闊達に、また真摯に講義される茂木博士の姿に、こういう自由意志の問題のような、我々の身近な所に穴を開けて潜んでいる、掛け値なしの難問に取り組む、本当に真剣なインテリジェンスの姿勢を見た気がした。

@当の茂木博士も、10年程度経って、自身がライフワークとしている「クオリア」や「意識の発生起源」といった問題と自由意志の問題を絡めて論ずる機会が訪れた、と言われていた。

@博士の言われるように、自由意志とは、クオリアや意識の問題と繋がっているというか、複雑に絡み合っている問題なのではないか。講義が終了して2日経った今、こうしてブログを書きつつ、そんな風な感想を持っている。

@今の日本のアカデミックの現場は、これほどに真剣に、クオリアとか自由意志といった、生命哲学の根幹に関わる難問に、本気で取り組んでいこうとする人が、あまりにも少ないのではないか。
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クマたん

銀鏡反応さん、まだ茂木健一郎に反応(追っかけ)してるんですね。
銀鏡女史の健気さに!(ウィスキィを波波と注がれたグラスを高々と挙げて)
by クマたん (2013-10-06 17:27) 

NO NAME

やまだみゆきさん、茂木氏が池田犬作と往復書簡を交わしたのは
あなたの折伏活動によるところが大きいのですか?

by NO NAME (2013-11-05 02:16) 

NO NAME

>
> 「愛してるよー!!」
> 我が敬愛する脳研究者・茂木健一郎博士が、合衆国はジョージア州アトランタから帰国の途につかれた。もう二日も「クオリア日記」の更新が無かったものだから、如何しちゃったんだろう?無事安穏なのかな?と少々だが気になっていた。が、茂木博士の掲示板をみたら、もう少しで日本に帰るとあるではないか、嗚呼よかった~!! 無事安穏だった~!!
>
> ぶっちゃけ、ほっ(´0`)としました。
>
> でもって、この際だから、茂木博士への止むにやまれぬ思いを、この場を借りてシャウトしてみよう。でも、若し、間違って「世界の中心で愛を叫ぶ」(セカチュー)みたいになってしまったら嫌だなァ。…如何しようかなぁ、うう~む…。でも、まぁ、よし!今から言うぞ!!
>
> 博士、愛してるよー!!
>
> …あ~あ、言ってしまった…。やっぱり、というか案の定、というか「セカチュー」みたいになっちまった。世界じゃなくて、何処かの中心で愛を叫ぶ、って感じになってしまったなぁ…。すげー、ハズカシイなぁ…。「穴があったら入りたい」っていう心境になってきたよ…。
>
> でもまぁ、言ってしまったことは今更取り消し様がない。ので、私はこれからも茂木博士を立派な学者として、また人間として敬愛していきたいと思いマス。

by NO NAME (2014-01-30 21:22) 

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