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1月も今日で最終日だ! [雑文]

@昨夜、私用で外出した際、玄関を出て夜空を見上げたら、何と、群雲に明るく輝く満月がぽっかりこんと浮かんでいた。

@平安期の藤原氏全盛時代、藤原道長が詠んだ和歌が思い浮かぶ。

 この世をば わが世とぞおもう 望月の

 欠けたることも なしと思へば

@欠けることなき満月も、日がたてば必ず欠けてくるもの。永遠に丸いままでは決してない。


@藤原氏の如き盛者の栄華も、時がたてば望月が欠けていくが如く、だんだんと衰えてくるものだ。道長の時代に栄耀栄華を誇った藤原家は、その後望月が欠けるように衰えていき、今や冷泉家など五摂家に分かれて、名家として細々と、現在まで生き長らえているのが実態だ。

@バブル時代に栄華の絶頂を迎えたこの島国も、今や欠けていく月のように、衰微の道を歩みつつある。たぶん、今から100年あとの時代には、日本という国は実質的に「国家」ではなくなり、どこかの未来の大国の、属州になっている・・・かもしれない。

@後ろ向きで自己否定感を引きずり、自分に自信のない人間が巷に多くあふれるこの島国社会。正月を迎えてから一ヶ月。あと数時間にて1月が終わるという今日この日にも、自信と希望をなくした人間たちが次々と自分で命を絶つか、あるいは考えられない事件を起こす事態が起こっているのだろう。一人一人の内面に、確たる人生哲学、生命哲学というものがないのも一つの大きな原因だが、周りの無関心も原因かもしれない。

@確たる哲学のなさ、周囲の無関心、自己責任の押し付け、そして政治の不能・・・これらの要素が相互作用を引き起こし、日本の社会を衰亡の水際へと追いやりつつある。このままの事態が続けば、間違いなく滅びへと向かって行かざるをえないだろう。

@“何とかしないといけない”と心有る人は真剣に考えている。東国原英夫・宮崎県知事ではないが、「どげんかせんといかん!」と、あれこれ解決法を考える人が今やたくさんいる。その中で人間の内面(脳の問題も含む)の「改革」に光を当てて解決法を提案している人は、脳科学者として有名な茂木健一郎氏などを含めても、数えるほどしかいない。

@多くは殆ど、政治や社会など、外部のシステム改造を訴える人が多いかと思われる(強力なセーフティネットの構築とか)。しかし、いくら外部のシステムを変えても、人間の内面を改革しなければ、本当の目ぼしい効果は期待できない。国家、社会といってもそれを構築する最も小さな単位は、一人一人の個人なのだ。個人が内面から変わって、初めて社会が変わり、国家が変わっていくのである。

@そこから思うに、今この島国社会の若者たちの間には(特に女子!)玉石混交というか、百花繚乱というか、実にたくさんの「占い」があふれている。西洋占星術をはじめとする各種星占いに今また話題の手相占い、風水占い、はたまた日テレ「ズームイン!! SUPER」でやっている「あかさたな」占い・・・。そういう占いに女子たちが(この際、老若関係なく)砂糖に群がる蟻の如く群がっている。

@多くがささやかでも幸せというものを、手にするためにそうしているのだろうが、占いそのものには自己変革を促す力が限定的か、あるいはまったくないと見ている私のような「ひねくれ者」から見れば、科学的にも根拠のない占いに群がるというのは、まるでいくら飲んでも効能のない偽薬をありがたがるようなものでしかなく、本人の人生にとっても本当の意味で、幸せをもたらさないものに見えて仕方がない。

@幸せというも、不幸というも、本当は自分の心ひとつ次第なのだ。幸せになるには、自分の内面から、あらゆる困難や人生の苦悩を克服して乗り越える強い意志を持てるように変わっていくしかない。そのためにはそれが可能な生命哲学、人生哲学を志向していかなくてはならない。己の内面に目を向ける哲学を持つことで、人は己をもとから変えることが出来るのだ。

@その哲学は、己の内面のみに、幸せを具現化する力があることを悟らせてくれる哲学なのだ。自己の外側に幸せを求める、どこか他力本願的な生き方では、本当の幸せは得られないということを知らしめるための人生哲学なのだ。主に東洋の賢哲・聖者たちが志向してきた哲学でもあるのだ。

@占いやパワースポットなるものに頼るというのは、まさに他力本願的である。これでは自己の内面など変革できないし、本当の意味で幸福などなれはしない。社会の最小単位である個人を内面から変えられないから、社会も変えられない。占いに頼ることの恐ろしさは、まさにこの点にある。ささやかな幸せになった気分を与えるだけで、自己の根本変革の意欲など沸き立たせないようにしてしまう。結果、本当の意味で幸せなどなれずに、一生を終えるはめになるのだ。

@私は、老若問わず多くの女たちが、自己変革を促さない、科学的根拠も超希薄な「占い」なるものに飛びつく風潮に、恐ろしいものを感じている。彼女らは幸せになるために、かえって不幸への道を歩んでしまっているのだ。

@もちろん、占いというのは、ひとつの行動のきっかけになるという意味では、あってもいいとは思う。占いをなくしては、それで食っている人たちを干上がらせ、思想の多様性をつぶしてしまいがちだ。だが、人生の全てを占いによって決めるという生き方は、自分の内側に幸せの素があるというのを見逃してしまう危険性を持っている。

@やはり女性たちには、人生の全てを「占い」に依存するのではなく、自分の内面を見つめ、そこに幸せをもたらす素があるということを知ってもらいたい。

@・・・と、いうわけで、私の今年1月の最終日に思ったことを述べてみました。皆さん、幸せの素は自己の中にあるのです・・・!
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