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ナッシング化する「ジパング」をそろそろ元から変えなくては。

@ジャパン・ナッシング-こう海外から言われ続けて久しい。幕末の開国から2度の世界大戦、昭和中期の高度経済成長時代を経て、昭和末~平成初期のバブル時代に至るまで、幾つかの繁栄期と没落期を繰り返してきたこの島国。

@その最後の栄耀栄華-バブル崩壊(1991年ごろ)から数えて今年は19年目。その間、世界のパラダイムは大きく変わり、その変化に対応し切れなかった幾つかの国家社会が時代の流れに取り残されていった。アイスランド、ギリシャは財政破綻で国家存亡の危機を迎え、北朝鮮とイランは核開発とその保有に執着しつつ国際社会に背を向け、更なる軍備増強とナショナリズムへの傾倒へと向かっている。

@その反対に、中国・印度・シンガポールなど発展途上の新興国・新先進国の多くが、かつて日本が歩んできたような高度成長・経済力強化への道を歩み始め、世界中の何処へ行っても通用する人材を育成している。その人材たちは、ハーヴァード、イェールといった世界的な英知と学問の府へと勇んで留学していく。

@我がこの国土世間といえば、財政面ではいまだギリシャやアイスランドのような、壊滅的財政破綻はいまだないといえども、何時そうなるかわからない危険に直面している。市民社会では「学歴偏重」「自己責任」「成果至上主義」などといった悪しき“神話”に圧制されつづけた挙句、社会との適応に失敗し、『積極的に全力で生きる』意思も意欲も薄くなり、中国や印度、シンガポールの英才たちのようにハングリーな向学心も持たず、ただただ時代の混沌をさまよって生きる以外に何の術(すべ)もなくなったと強く思い込んでいる若者たちが世の隅っこに追い遣られ、まさに精神的に窒息しそうになっている。

@窒息しそうになっている若者は、「どうせ世の中、この先も何も変わらんもんね」といった理由で、「未来へ飛翔する夢と浪漫」を捨て、未知の浪漫に溢れているはずの「外界」に背を向け「内向き」になり、自分の周りの生活のみに執着し、やがて「これでいいのだ」とばかりに「満足」しきっていく。

@しかし窒息しそうになっているのは若年層たちだけではない。中年層や各種障碍者、老齢者たちも窒息している。いまや社会全体がこうした「閉塞」へ向かっており、まさに世界から閉ざされた「ガラパゴス化」の小世界に、日本はなり果てつつある。

@家族関係、地域のつながりの崩壊と少子高齢化は、想定を超えるスピードで進み、2030~’40年ごろには結婚をしないまま老人になり、独居(一人暮らし)を余儀なくされる人々が今の倍以上に増えるといわれている。特に社会との適応に失敗し、結果ひきこもりになり、社会との接点を断(た)ってしまった人々にとっては、独居化は致命的問題となりかねない。

@政治する側が、バブル崩壊後すぐに然るべき何らかの対策を打っていれば、これらの問題は今のように大事(おおごと)にならずに済んだのではないか、と筆者だけでなく多くの人が薄々ながらも思うのは無理もない。しかし政治はこの20年間、混乱に混乱を極め、連立政権が誕生したかと思えば、誰かによってその政権が崩壊したりしていた。5年間も続いた長期政権が、時の首相が辞任した途端、短命政権が5度も繰り返されたりしたこともあった。

@そんな政治の混乱もあってか、我々が直面してきた少子高齢化、派遣切りに代表される就労にまつわる諸問題、教育と子育てに関する諸問題、介護問題を含めた老後の諸問題・・・その他諸々の問題が、政治がキチンと向き合わなかったがために、多くがそのまま長いこと放置され、重症化していった(もっともこの言い方は正しくない。政治がこれらの諸問題の対応の仕方を誤ったからだ、というべきである)。

@TVを点ければ子育て真っ最中の夫婦が子殺しをしたり、老々介護に疲れきった挙句に夫が妻を殺したり、通行者の中に男がいきなり入って刃物を振り回して殺傷事件を起こしたり…といった目を覆わんばかりの悲惨なニュースが連日、日常茶飯事のように入る。

@毎日それを見ているうちに、我々のこうした悲劇に対する繊細な感性は次第に麻痺し、そんなニュースを見ても、「あ、またやっているな」としか感じられなくなっていく。よく考えるとこれは恐ろしいことかもしれぬ。

@恐怖と悲しみを感じられなくなった我々の心は、次第々々に、他人や周囲への配慮と思いやり、などといったものをなくしていくのではなかろうか。世に言う『モラルハザード』はそこから起こってくるのだろう。

@事実、そうした心になってしまった者達が、例えば児童ポルノなどの違法な性的著作物へと手を出す、違法な薬物の原料となる『あつみげし』(ひなげし(ポピー)に似ているが、葉の特徴などからまったく違うもの。実からアヘンをとる)やマリファナ(大麻)を勝手に家の庭などで栽培したりしている、ITを使って違法な株取引を平気で行いあぶく銭ならぬ「あぶく利益」を得る、自分が起こした会社の株価を勝手に操作して、利益を上げているように見せかけ、結果、顧客をペテンにかける(例:ライブドア事件)…などのモラルなき行為を、それこそこの社会の津々浦々で繰り返している。

@以上書いてきたような政治の混乱、希望の喪失、『モラルハザード』がこの島国で繰り返されている間に、世界のパラダイムはインターネットを介してこれまでよりも大きく変わった。その大変化に、国内のカオス的な混乱にしか、目が向いていなかったこの島国は、気が付けば、世界の潮流から完全に取り残されてしまっていた。・・・そう、日本は、国際社会でホトンド存在感を失ったのである。

@こうして国際社会から、日本は「ジャパン・ナッシング」と後ろ指を指されるようになったのだ。


@これに気付いているのかいないのか、日本の多くの人々は、斯かる現状に嘆息するばかりで、その調子はまるで「最早手の施しようがないなぁ」といった感じに、筆者には聞き取れる(あくまで私の主観であるが)。

@しかし、本当にこの現状は「手の施しようがない」のか?ナッシング化していく一方に思われるこの国土社会「ジパング」の、我々「住人」が、指をただ咥えてみているだけで、「『真に開かれた国』になる為の、あらゆる角度からの努力らしい努力」をキチンとしていないのに、そんな「結論」を早々と出してしまって、良いのだろうか?良いわけがない。

@ある識者が言うように、最早この国の済世と「新時代に生きる為の真の開国」のためには、思い切った抜本的なシステムの改革がまずは必要だろう。現に、今世紀におけるパラダイムシフトの大変化に日本が対応できなかった大きな原因の一つは、この人を含め、何人かの識者が各々の語り口で指摘しているように、日本自体が少なくとも明治の頃から今日まで、後生大事にしがみついてきた「男性上位至上主義」「上意下達主義」「学歴・偏差値至上主義」「事なかれ主義」といった「時代遅れ(期限切れ)」の“主義”によってつくられた社会システムの機能不全にあるといわれている。

@そうしたシステムの大転換は、私自身も大いに首肯する。しかし筆者は、システムの「仕組み」を大きく変えるだけでは、この閉塞し果てて「ガラパゴス」化した「ジパング」を、本当の意味で「開かれた世界」に変えることにはならないのではないかと思うのだ。

@私が主張するのは、「国家」「社会」という「システム」を構成する最小単位である我等「人間」それ自体の意識を、根底から大きく「転換」することから、「真に開かれた世界」への「メタモルフォーゼ」は始まるのだ、ということだ。日本に住む我々はそろそろ、諸々の「期限切れの主義」からの「呪縛」を解くべく、まさに意識の根底から、本気で大きく変わっていかなくてはならないだろう。そのためにはこの、大きなパラダイムシフトの時代を、何が何でも力強く生き抜いていこうと、一人一人がそれぞれの立場で、我武者羅になれるだけの「行動原理」「人生哲学」を持つのが一番良いだろう。「手の施しようがない」等と嘆く前に、まずはそうすることから「ガラパゴス」化からの「変革」を始めるべきだ。
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