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年末に、Twitterの代わりに。 [独白]

☆本当はオペラ(歌劇・楽劇)というものは、直接劇場へ足を向け、眼と耳とでその素晴らしさを生で味わうものなのだが、生憎オペラを見に行く時間もチャンスも予算もない私たちは、CDやらDVDやらを買い、それを観て堪能するしかない。


☆ところが私、銀鏡反応個人といえば、CDやDVDすら購入する費用すらままならない。仕方なくネットの情報なんぞを読んで、これは観たいと思う歌劇・楽劇のあらすじの断片を、頭に書き込んでいくしかなかった。

☆そこへたまたま、NHKFMが2010年夏のバイロイト(Bayreuth)祝祭劇場公演のライヴ録音を数日に亙って放送しているのを聴けた。何気なく、何時もAMで聴いているラヂオをFMに切り替え、NHKFMに周波数のダイヤルを合わせると、男女の素晴らしいデュエットが聞こえてくる…。

☆いったいこれはなんのオペラだろうと思い耳を済ませているうちに、時折YouTubeで断片を視聴しているあの作品だと、わかってきた。これは楽劇「ニーベルングの指環」(The Ring)の第2夜・「ジークフリート」のラストシーンだったのだ。怖いもの知らずの若者ジークフリートが、運命の女性ブリュンヒルデと出会い、二人で壮麗な愛の二重唱を奏でているところであった。今思えば全幕聴けなかったのが残念だ。

☆次の日はRingの第3夜「神々の黄昏」。これは第2幕、ブリュンヒルデ、グンター、ハーゲンの復讐の三重唱から聴き始めて、最終幕に入る。最終第3幕の、ラインの乙女達の嘆き、ジークフリートの死と彼の『葬送行進曲』、ブリュンヒルデの自己犠牲、そして『愛による救済のモティーフ』まで、一気に聴いた。

☆ことにジークフリートがハーゲンに「思いだし薬」の入った酒を飲まされ、ブリュンヒルデの出会いをはっきりと思い出してしまい、そこでハーゲンに弱点の背中を槍で突かれて絶命するシーン、そして愛するものを失ったブリュンヒルデの「自己犠牲」までの悲しくも美しい絶唱、最終場面の「愛による救済のモティーフ」はとてもよかった。…「権力」への欲望によって荒廃しきった世界を、英雄と女騎士を荼毘に付す紅蓮の炎が焼き尽くし、そこへラインの大洪水が巻き起こり、全てを洗い流し、世界を言わば「リセット」する場面を頭の中で思い描きながら、ラストのクライマックスを聴いていた。

☆そのあと、Ringでリヒャルト・ヴァーグナーが伝えようとしていたのは何だったのか、これまで何度も色々自分なりに考えてみたが、今回楽劇を耳にして、改めて考えてみた。

☆結局、というか、やはりというか、あの楽劇4部作は「権力と富に妄執する欲望が醸す『悪魔性』が、如何に我々をして最終的に滅びに至らしめるか」というのを、彼は神話や伝説の登場人物を使い、メタファー(比喩)として表現したのだろう。

☆Ringの劇中人物はみな各々その『悪魔性』によって他者を傷つけ、しまいには自分をも滅ぼしていったわけで、これは現実の我々の世界でしばしば見かける醜い所業でもあるのだ。滅びなかったのは「自然」や「抑圧されてきた民衆」のメタファーである「ラインの乙女たち」ぐらいだった。第3幕のクライマックス、ブリュンヒルデがジークフリートを荼毘に付す炎の中へ飛び込む際に、彼女達に指環を返したことは、これまで収奪してきた自然に対する人間世界側の贖罪を表現していたのだろう。

☆「神々の黄昏」で利己的な自己愛に偏執していたブリュンヒルデは、この第3幕の最後で漸くこの『ラインの乙女達に指環を返す』という「利他」の行動をした。結果、世界は浄化され、諸々は救済されゆく。「愛による救済のモティーフ」を耳にしつつ、指環を巡る欲望の犠牲になって死んだ英雄と乙女も救済され、最後は宇宙微塵に溶け込んでいくというイメージを思い浮かべていた。

☆その翌日は『ローエングリン』だったが、聞き逃した。ので、『ニュルンベルグのマイスタージンガー』を全幕聴く事に挑戦した。フトンに入ってラヂオを聴き、眠らないよう懸命に耳をそばだてていた。☆有名な「第一幕へのプレリュード」、壮麗な管弦楽がこれから始まるお話への期待をかきたてる。それからコラール。何とまあ美しい…溜め息が思わず出そうになった。フランケン地方から来た若き騎士・フランツと乙女・エヴァとの最初の掛け合い、歌声が美しく、最早私の耳はすっかり彼等の美声に酔い痴れていた。

☆この楽劇は全幕を遠し、第1幕のプレリュードで示された数々のライトモティーフが随所に流れる。自分も繰り返し「プレリュード」の音楽を聞いているので、さしたる違和感もなく、お話の中へと入り込めた。

☆主人公である靴屋のマイスター、ハンス・ザックス役の人の歌声は豊かで力強く、しかも優しさが篭もっている。劇中でハンスは、乙女エヴァを強く深く愛していたが、その愛を断念し、フランツとエヴァを結びつける「キューピッド」の役目を果たす。

☆第1幕で、同じくエヴァを狙っている小役人べックメッサーによって歌合戦のマイスターとして「失格」を告げられたフランツとエヴァが駆け落ちを決意する第2幕の場面、ザックスがニワトコの花の甘美な匂いをかぎながら、フランツの情熱的な歌に感銘する有名な「ニワトコの告白」、べックメッサーが下手なマンドリンをひいてヘンな歌を歌い、ザックスの徒弟のダーヴィットに殴られるのを切っ掛けにして始まるドタバタ、いわゆる「喧嘩のカノン」など、「マイスタージンガー」の第1幕から2幕にかけては、実に聞かせどころが多い。

☆この「マイスタージンガー」、作曲したヴァーグナーははじめは本当に軽めの作品にしようと思い制作しだしたが、「トリスタンとイゾルデ」、上述した「Ring」などへヴィーな作品ばかりを書いている彼の事、この喜楽劇も実に奥深い、哲学的な匂いの微かながらする、力強い作品になってしまった…ということだ。それでも「トリスタン…」や「Ring」の何処かネガティヴな重たさに比べたら、紆余曲折の末に明るい結末になるので、聴いた後でとても気分がよくなる作品という事は言える。明るいハ長調で始まるのも良い。

☆第3幕でハンスがエヴァとの愛は「所詮かなわぬ」と歌うシーン、愛し合う若い二人の為に、自分のエヴァへの愛を断念する、男の切ない心境が、柔らかなバリトンの歌唱とともに伝わってきた…。うーん切ないねぇ。

☆そして、自分がこの楽劇で最も感動した場面が登場する…!騎士フランツが歌合戦で歌う美しいアリアだ。歌っているフランツ役・テノール歌手のフォークト氏の歌声が軽やかで美しい所為もあるのだろうが、もうこれを聴いた途端、涙腺が緩みそうになった。

☆このアリアの完成形を、フランツは歌合戦の本番で披露するわけだが、歌合戦の最初で歌うベックメッサーの下手くそぶりが笑えるだけに、このアリアは本当に、しびれるほどに感動的であった。流れるように美しく響く愛の歌として聴いた。聴衆もともにコーラスで応じるところが実によい。この歌合戦はフランツが見事優勝するわけだが、歌い終わったあとで「僕はマイスターの称号なんて要らない」っていうところも、反逆児だったヴァーグナーの思いが出ているようで好ましかった。

☆そして大団円、第1幕のプレリュードで示されたモティーフが力強く繰り返される。ザックスがドイツ芸術の素晴らしさを称えて歌い、最後は重厚な大合唱で締めくくられる。終わると、大拍手と歓声。ヒュー!といった口笛も聞かれたから、大受けだったのだろう。

☆さて・・「マイスタージンガー」を、兎に角全曲聴いたのは初めてだし、耳だけからとはいえ、ヴァーグナーの芸術の一端に触れたことは新鮮だった。で、ずっと聴いていて思うことは、ヴァーグナーという人は、人間のありとあらゆる(それこそマイナスもプラスも含めて)感情をはじめ、人間性の全てを深く掘り下げ、楽劇という音楽芸術に転換した人だったのではないかということだった。そしてその根底にあったものは、やはり「愛」(Love)であったのだ。
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