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英国と日本の「お笑い」の差を感じた~いわゆる「QI」事件~ [ぼやき]

@先日、BBC(英国放送協会)制作の人気お笑い番組「QI」でヒロシマとナガサキで二度原爆にあい、生き抜いた山口彊(やまぐちつとむ)さんを取り上げ「世界一運が悪い人」と揶揄し「被爆者を嘲笑」…と、日本のマスメディアが取り上げて騒ぎ、国内のツイッターやブログで取り上げられていることについて書く。

@この事件を、自分はTVニュースで知った。瞬間、うむむ・・・と思った。ヒロシマとナガサキに世界初の核兵器である原子爆弾2種(リトルボーイとファットマン)を落とされ、核被害をリアルに体験した我々日本人にとって、この「QI」での“おちょくり”は、屈辱と怒り、悲しみを齎すもの以外の何ものでもなかった。

@しかし、英国の事情を考えれば、現地では核兵器投下の体験がなく、かつ第二次大戦時の日本のイメージといえば、“英国人の捕虜をとったこと”しかすぐに思い浮かばず、あと「日本はナチス独逸やファシスト伊太利亜と枢軸国同士だった」というのしかないので、被爆者の事情について殆んど無知なのは致し方ない面もある。

@英国のコメディの伝統について、以前ある英国通著名人の講演会等で幾許か聞かされたことがあり、それによると、英国コメディには、日本のコメディアンならばまずツッコメない事例(例;障害者、皇室(王室)、社会的議論を呼びそうなもの、同性愛者、社会的偏見を受けやすい病の人、特徴的外見の人など)に対して「果敢なツッコミ」を入れる、というのが基本的な伝統だという。例えば、障害者(障碍者)を取り上げるコメディの場合、障害者に対して差別感情を持つ人の滑稽さと馬鹿馬鹿しさをツッコンだ笑いに買えて、みんなでその滑稽さを笑うのである。

@そしてそれは“綱渡り”のようなものだと、ある英国コメディアンは言っていたそうな…。タイトロープからちょっとでも脚を外してバランスを崩したら、失敗して自分が大怪我をする。悪い場合、死ぬ事もある。それと同じで、笑いが取れるかどうかのギリギリのところを探りながら突っ込んでいくという英国のお笑いは、一つ間違えば、(場合によっては)取り返しのつかない“自爆”の可能性を秘めていると思う。若し自爆の場合、ネタ元への「批判」や「中傷」、あるいは今回のような「嘲笑」になってしまい、結果的に笑いが取れなくなるのだから。

@実際、ダイアナ元皇太子妃の事故死以来、「王室ネタ」がやりにくくなった、とぼやいているコメディアンもいる。自国であろうが他国であろうが、「客に大きく受ける」か「スベって自爆する」かの間の、微妙なバランスを探りながら果敢にツッコミまくる英国コメディの、そこが長所であり短所であるのかもしれない。

@今回の「QI」」事件について、ネットサーフィンをしていたら、その放送内容を淡々と素直に記述した個人のブログがあった。読むと、彼等が本当に突っ込んで笑いにしているのは、上述の山口さんではなく、英国の鉄道だったことが解った。尤(もっと)も、そこに至る前に山口さんのことを、言わば「小ネタ」にしていたことは、やはり日本の被爆者の心象を悪くしたとしかいえない。

@在英日本大使館は、この番組について、BBC及び関係者に抗議し、これに対してBBC側が陳謝したということだが、日本国内には「あんなふうに被爆者を笑い者にしたのは絶対許せない!」と言う声がまだまだ強いようだ。当事者の陳謝に関わらず、日本で未だに「許せない」感情が抜けないのは、ひとつには日本側メディアの、この事件の紹介が「英国番組、被爆者を嘲笑」といった、お決まりの「紋切り型」だったこともあるかもしれない。

@ともあれ、英国コメディアンは自分がこれは!と思ったネタで、“大きな笑いが取れる”か、それとも“大きくスベって怪我する”かのギリギリのところで勝負をかける。若し、スベって怪我した場合、今回のように自他共に傷つき、お互いに不幸な結果になってしまうこともあるわけで、この場合はネタ元となった相手に対し真摯に謝罪し、反省しなくてはならなくなる。

@対して、日本のコメディアンのやる事は、英国のそれと比べると、命がけの綱渡り、というギリギリ勝負とはいえず、寧ろ別のところで勝負をかけて、お客を笑わせている。つまり自分がヘンな事を言ったりやったりして、客から笑いを取ろうとするのである。もしギャグがスベって客が受けなければ、そのコメディアンは当然がっくり来るが、英国のように障害者などをネタにしていないので、ある意味「人畜無害」といえるし、別の角度から見れば「ゆるい」といえる。

@何故日本で被爆者や障害者を扱ったお笑いが出来ないのかというと、被爆者や障害者をネタにした笑いが即「彼等への差別や侮辱」に繋がる、と考えるからである。それにこの島国では、差別や偏見に直結する事例については「人権」への国民感情に関わるから「笑い」に出来ないという「不文律」がいつの間にか出来ているようなのである。(・・・40年以上前なら、TVに出せないお笑いには結構その手の、今でいう差別ネタが多かったような・・・)

@自分は以前、フツーのお笑いさんたちと協力して、障害者自身が自らコメディアンになり、体当たりで健常者から笑いを取ろうとしていた番組を観たことがある。(NHK教育で昨年放映された「笑っていいかも!?」という番組だった)

@自分がこれを見るに、笑えたものもあったが、笑えないものが圧倒的だった。やはり障害者がお笑いさんとなり、客から笑いを取るということは、日本の風土では難しいのか。これが若し英国であったなら、多少なりとも笑いが取れたかもしれないが、しかし、障害者を笑いのネタにしているのは英国でも健常者で高い教養の人がホトンドのようだし…。

@ともかく、この事件を通して思ったことは、2つの国のお笑い風土の違いもさることながら、互いのコミュニケーションをもう少し密にし、相互理解を得るということが如何に大切か、ということだった。対話が大事といわれながら、一向に相手を知ろうとせず、ただお互いを差別と偏見、憎悪の対象として見做し、故に相互理解が進まない世界の情勢を思うと、英国と日本は、(ある英国通も言っていた事だが)今回の椿事にめげて互いを敵視することなく、寧ろお互い、教育や文化など、いろいろな分野での交流を深めていってほしい、と思うしかない。
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