GWの椿事。そして4月は終わる。 [ぼやき]
☆GW早々、大きな事故。関越道で大型バスが防音壁に突き刺さるように突っ込み、7人が死亡、3人が重体、9人が重傷、36人が怪我を負った大惨事。バスは金沢から新宿を経由し、東京ディズニーリゾートに向かう途中の夜行バスだった。
☆警察は運転手の逮捕状を取った。運転手は居眠り運転していた。運転席のメーターは97km/hを指して止まっていた…と報道。
☆折角のGWも、この場合、冥途への旅立ち担ってしまったのはあまりに悲惨。7人の方々のご冥福をお祈りしたい。
☆死者の中には、17歳の高校生もいた、という。ディズニーランドでミッキーマウスやいろんなキャラクターに会うつもりだったのが、冥途の楽園への旅立ちとなってしまった、というわけだ。親御さん方の悲しみ、悔しさは如何許りか。
☆バスの運営会社では、運転手の管理は如何していたのだろうか。警察が手入れを行っていたとの報道も。
☆兎にも角にも、昔からいうように、クルマは運転を誤ると人を殺す凶器と化すものだ。酒気帯び、無免許、居眠りは何が何でも厳禁だ。乗せる人の命を守る為、運転する側は体調管理に気をつけよう。
…………
☆往年の人気クイズ番組「アップダウンクイズ」で名司会を努めた元毎日放送アナウンサー・小池清さんが、肺炎の為80歳で亡くなられた。たしか「100万円を獲得し、ハワイへ行きましょう」というのが名フレーズだったか。
☆自分も幼少から見ていたから、おぼろげながらに覚えている。ゴンドラが上がり下がりするたびに、幼いながらもコーフンしていたなぁ。
☆ハワイ旅行が高嶺の花だった1963年から小池さんは、ずっと番組最後まで司会を勤められていた。
☆今もハッキリ覚えているのは、この番組が「ロート製薬」提供であったこと。放送開始前後は、まだメンソレータム(当時は㈱近江兄弟社の主力製品だった)を傘下に入れてない頃で、同社の当時の売れ筋商品は目薬「Vロート」と胃薬「パンシロンG」であった。
☆ロート製薬(当時の社名は「信天堂山田安民薬房」)は、1900年ごろに青い綺麗なビン入りの「ロート目薬」を発売し、先行していた参天製薬(当時は「田口参天堂」)の「大学目薬」(1896年発売)を追撃していた。しかし、大正末年まで、大学目薬のシェアは如何しても崩せなかった。が、元号が昭和に変わって6年目の1931年、転機が訪れる。
☆両口スポイト式ガラス瓶の開発成功および採用により、爆発的にブレイクした。
☆ビンの透き通った綺麗な青色も人気を呼んだのか、これまで大学目薬に押され、シェアを延ばせなかったロート目薬が、売れに売れまくったと言う。
☆程なく大学目薬も、翌1932年、ロートとは色味の違うグリーンのスポイトビンを採用、こちらもシェアを延ばし、“ロートvs大学”の目薬シェア戦争が内地と言わず、外地といわず、繰り広げられたという。
☆それは想像以上に凄まじいものであったようだ。
☆ロート目薬のホーロー看板のとなりに大学目薬のそれが貼り付けてあったり、互いの商品を扱う問屋同士が争ったり…と、兎にも角にもドタバタ以上の激しさを増し、当時あった薬事問屋の組織に注意されるまで、収まる気配を見せなかった。
☆現在、参天製薬は、主力製品のホトンドが医療用医薬品に移行し、ロートとの熾烈なシェア争いはなくなったが、今も御存知のように「サンテex」「サンテ・ドウ」「サンテ40シリーズ」などの家庭用目薬を売っており、ロートとシェアを分け合っているようである。
☆ロートは、あの「メンソレータム」を傘下に納めて以降、化粧品分野にも進出し、幅広い分野に事業ジャンルを拡大している。勿論、「新Vロート」「ロートジー」などの家庭用目薬分野も健在である。
☆さて「アップダウンクイズ」も過去の懐かしい思い出となった今、あなたの使っている目薬はロートのものですか、それとも、サンテのものですか?…なんてね。
☆警察は運転手の逮捕状を取った。運転手は居眠り運転していた。運転席のメーターは97km/hを指して止まっていた…と報道。
☆折角のGWも、この場合、冥途への旅立ち担ってしまったのはあまりに悲惨。7人の方々のご冥福をお祈りしたい。
☆死者の中には、17歳の高校生もいた、という。ディズニーランドでミッキーマウスやいろんなキャラクターに会うつもりだったのが、冥途の楽園への旅立ちとなってしまった、というわけだ。親御さん方の悲しみ、悔しさは如何許りか。
☆バスの運営会社では、運転手の管理は如何していたのだろうか。警察が手入れを行っていたとの報道も。
☆兎にも角にも、昔からいうように、クルマは運転を誤ると人を殺す凶器と化すものだ。酒気帯び、無免許、居眠りは何が何でも厳禁だ。乗せる人の命を守る為、運転する側は体調管理に気をつけよう。
…………
☆往年の人気クイズ番組「アップダウンクイズ」で名司会を努めた元毎日放送アナウンサー・小池清さんが、肺炎の為80歳で亡くなられた。たしか「100万円を獲得し、ハワイへ行きましょう」というのが名フレーズだったか。
☆自分も幼少から見ていたから、おぼろげながらに覚えている。ゴンドラが上がり下がりするたびに、幼いながらもコーフンしていたなぁ。
☆ハワイ旅行が高嶺の花だった1963年から小池さんは、ずっと番組最後まで司会を勤められていた。
☆今もハッキリ覚えているのは、この番組が「ロート製薬」提供であったこと。放送開始前後は、まだメンソレータム(当時は㈱近江兄弟社の主力製品だった)を傘下に入れてない頃で、同社の当時の売れ筋商品は目薬「Vロート」と胃薬「パンシロンG」であった。
☆ロート製薬(当時の社名は「信天堂山田安民薬房」)は、1900年ごろに青い綺麗なビン入りの「ロート目薬」を発売し、先行していた参天製薬(当時は「田口参天堂」)の「大学目薬」(1896年発売)を追撃していた。しかし、大正末年まで、大学目薬のシェアは如何しても崩せなかった。が、元号が昭和に変わって6年目の1931年、転機が訪れる。
☆両口スポイト式ガラス瓶の開発成功および採用により、爆発的にブレイクした。
☆ビンの透き通った綺麗な青色も人気を呼んだのか、これまで大学目薬に押され、シェアを延ばせなかったロート目薬が、売れに売れまくったと言う。
☆程なく大学目薬も、翌1932年、ロートとは色味の違うグリーンのスポイトビンを採用、こちらもシェアを延ばし、“ロートvs大学”の目薬シェア戦争が内地と言わず、外地といわず、繰り広げられたという。
☆それは想像以上に凄まじいものであったようだ。
☆ロート目薬のホーロー看板のとなりに大学目薬のそれが貼り付けてあったり、互いの商品を扱う問屋同士が争ったり…と、兎にも角にもドタバタ以上の激しさを増し、当時あった薬事問屋の組織に注意されるまで、収まる気配を見せなかった。
☆現在、参天製薬は、主力製品のホトンドが医療用医薬品に移行し、ロートとの熾烈なシェア争いはなくなったが、今も御存知のように「サンテex」「サンテ・ドウ」「サンテ40シリーズ」などの家庭用目薬を売っており、ロートとシェアを分け合っているようである。
☆ロートは、あの「メンソレータム」を傘下に納めて以降、化粧品分野にも進出し、幅広い分野に事業ジャンルを拡大している。勿論、「新Vロート」「ロートジー」などの家庭用目薬分野も健在である。
☆さて「アップダウンクイズ」も過去の懐かしい思い出となった今、あなたの使っている目薬はロートのものですか、それとも、サンテのものですか?…なんてね。
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