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そんなに気にすること無いじゃない。 [ぼやき]

☆今朝、目がゆっくり醒めると、ラヂオのスイッチを入れた。文化放送(1134kHz)が我が家では一番受信感度がよいので、それにチューナーを合わせ、コンテンツを聴いていた。

☆ふと、何時かな?と思い時計をみたら、もう8時になってやんの!でも、何時もの休日ならば私は9時過ぎるまで寝ていることが多いので、8時起きは滅多に無いほうだ。


☆TVを点ける。日曜美術館、風に揺れるオブジェ。その世界では有名な世界的アーティストの作品が兵庫県三田市の田んぼの中の池や、東京都のエルメスのビルにあったりする。

☆さてラヂオのコンテンツの内容で気になったことがある。たしか「岡田真善のどうも気になる」というタイトルの番組だったか、8時台の放送番組で、韓国のデパートの、惣菜売り場で、店員がアクリルのマスクをしながらお客に惣菜を売っていた、という話が出た。恐らく日本と同じく「デパ地下」の話だと思うが。

☆えっ?韓国ではそこまでやっているの??ひぇ~。日本ではまず考えられないな・・・何もそこまでやることはない、そんなに気にすること無いじゃない。

☆だいたい、食べ物にクシャミのつばが着いたって、人間の身体には抵抗力というものがあるから、とんでもない病気にかかることなんて、ごくごく、まれなことなんじゃないの。

☆清潔思想がきわまるところ、みんな防御マスク越しに、会話が出来なくなり、隣近所同士のお付き合いすら、マスクナシでは出来ないという・…底までは行かないと思うけれど、最近の人たちは心配しすぎのような気がする。
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ジョブズ死す。天才は死して、凡才だけがぬくぬくと生き続ける。嗚呼 [ぼやき]

@昨日(日本時間)5日、アップルのファウンダーで前CEOのスティーヴ・ジョブズが死去した。享年56。と書くと、如何もニュースのタイトルみたいだ。

@林檎のマークの会社を立ち上げ、テクノロジーを進歩させ、みんなを楽しくするガジェットを生み出し続けた、稀代の天才は、若くしてこの世を去った。

@アップルコンピュータのマークの林檎は、ニュートンの林檎。木から落ちる林檎のさまを見て、万有引力発見の逸話を思い起こさせるものだ。20世紀になってこの林檎は、シンボルとしての「ジョブズのりんご」になった。

@ジョブズは、ハイテクノロジーの向こう岸に、皆をハイテンションにさせる喜びを齎すものを発見した。彼はそれを形にして、みんなに届けることが出来た。Mac、iMac、iPod、iPhone、そしてiPad。みんな使って楽しいガジェットばかりだ。Macの林檎は、ジョブズのりんご。

@そしてこの林檎を残して、天才は昇天した。後に残ったのは、アメリカにおいてはウォール街を仕切っている一部の連中、そして日本においては、旧態依然の官僚制度とジャーナリズムを腐らせてきた「記者クラブ」。こいつらはみんな「凡才」だ。それもろくでもない凡才。

@そんなのに限り、何時の時代もぬくぬくと、世の空気を吸い続けて、しぶとく生き残っている。天才死して凡才残る。嗚呼。
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9月は大きな風将軍と共に。 [ぼやき]

@9月の最初の週末は、大きな風将軍の到来と共にやって来た。常に崩壊寸前の危機にある、我がリリパットの島国世界の、内閣の組閣も終わり、野党と世間の冷ややかな視線に晒されつつ、野田内閣は多難な船出をした。


@それはさて置き、なでしこジャパンの五輪予選初戦、勝利おめでとう!白星でスタートを切れたことは、新たなチームの課題発見と共に、世界への更なる活躍を約束するものとなったであろう。

@新たな人材も育ちつつある。将来有望だ。・…それに引き換え、若返ったとはいえトウのたった人間ばかりが多い、我が国の内閣の顔ぶれ…。何故若い人をもっと多く、起用しなかったのか。まぁ若ければいいってモンじゃあないけどね。

@もう脱小沢、親小沢といった「カテゴリ分け争い」を閣内でやっている場合ではもうないことは、その、閣内の人間一人一人が既に心得ているはずだ、と思うが…。


@マスゴミが早速、野田の外国人からの献金問題をかぎつけ、大騒ぎしている。ネットでもそれを受けて騒いでいるやつらがいる…。

@と、政治関連のことはこれくらいにしとこう。…最近、言葉の力がなくなってきたと思いませんか。


@既存のメディアによる薄っぺらな報道で、言葉から「重み」が無くなり、さらにそれに輪をかけ、ウェブでの情報大氾濫が、如何やら、言葉から「魂」を完全に抜いてしまったようだ。

@魂の抜けた言葉は重みが無くなり、吹けば飛ぶような紙切れのように軽くなってしまった。軽くなった言葉は、そのまま単なる「記号の羅列」と化した。


@言葉の中にもう一度、魂を蘇らせたい。そこで、心の底、腹の底からの言葉を発する人が現われてくる。そのような人が言葉に魂を再び、吹き込んでくれる。

@そういう人の発する言葉は、何故か美しい。ただし、ただうわべだけを美しく修飾した言葉とは重みからして違う。


@言葉に魂を吹き込む人の発する言葉は、重みと飾らなさゆえの美しさがある。そういう真に美しい言葉は、何故か
ウェブでは少々しか、見当たらない。
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海の向こうでも…。 [ぼやき]

@7月に入って最初の、今日は日曜日。オイルショック(1974年)以来37年ぶりの節電令により、土日出勤のサラリーマンやOL、ブルーカラーの人たちが大挙して通勤の電車やバスに乗っていったりしている。

@まぁ自分の場合、節電令が敷かれるずっと前から、土曜日出勤だけれど、土日休みに慣れたサラリーマンやOLさんたちは、いろいろメリットもあろうけれど、大変だろうな…。

@因みに戦時中は、聞けば労働者や学生は一週間ぶっ通しで軍需工場で働いていたという。周知のように毎日が臨戦体制、つまり「戦争」モードだったから、「月月火水木金金」なんていう軍歌が流行ったものだった。今回の節電シーズンでは木・金が休みだから、それほどの厳しさはないものの、慣れないうちは少ししんどいところもあるかもしれない。

@そんな「節電の夏」に入った今月1日、ユーラシア大陸の西端、大西洋に浮かぶある島国で、こんな事実が発覚したとのニュースが。私は同日夜、ネットサーフィンをしている最中で、これを見つけた。

 【東京新聞2011年7月01日10時27分発信】英政府、反原発抑制で世論誘導か 福島事故の直後か

 記事のURL: http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011070101000239.html

 (日本の新聞記事のURLってほっとくと削除されちゃうらしいから、予め当日ノートに写したものを此処で改めて掲載するよ!)↓

 【ロンドン共同】英政府が福島第1原発事故の直後、反原発機運の抑え込みを目的に、世論誘導を原子力業界に持ちかけていたことが、6月30日英紙ガーディアン(電子版)の報道でわかった。

 産業界を監督する立場の政府側と業界との親密な関係が、浮き彫りとなり、議論を呼びそうだ。

 同紙は英国の民間企業・技術革新・技能省が、アレバやEDFエナジーなど原子力関連企業側に送った電子メールを確認、3月13日のメールで同省は「事故はテレビで見るほどに劇的なものではなく、原子炉は安全だ」と分析。また事故は世界の原子力産業を交代させる恐れがあり、反原発派に事故を利用させてはならないと指摘した。
(掲載おわり)

@善意に考えると、英国政府側もよもや3月13日の時点で、福島原発の状況がチェルノブイリを越え兼ねないレヴェルに既に達しているとは思わないから、あのような大甘な分析になった、それで、「事故はたいした事はない」という調子で原子力関連の各企業に世論誘導を持ちかけてきたのだろうということになるが、それは違うんじゃないか、と如何しても考えてしまう。

@英政府は恐らくは、すでに福島原発は当日の時点で致命的なダメージを受けているという情報を、既に得ていた可能性が考えられる。若しこの事実が世間にそのまま伝われば、一気に世界中で反原発の機運が高まり、英国のみならず世界中の原子力産業は危機に陥り、自国の国益にも大いに響きかねない。

@英政府はその事実を隠し、自国の原子力関連企業に「事故は見た目ほどたいしたものじゃないから大丈夫」と伝えた上で「この事故を反原発派に利用させたら、国にとってもあなた方にとっても拙(まず)い事になるよ」と釘をさしたのに違いない。

@日本のみならず、英国でもあった原発事故関連の隠蔽工作と世論誘導工作。どちらの場合も、それぞれの国の民衆がパニックを起こし、反原発の機運に一気に火がつくのを恐れに怖れた故の行動だと思うのだが、民衆の生命よりも利益・国益に関わる諸々を優先させるという彼らの心性は、英・日両国民がしっかりと監視しなければいけないものであることは、言うまでもないだろう。
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やっぱり茶番。 [ぼやき]

★昨日(6月3日)、野党3党(自民、公明、たちあがれ日本)が共同提出した菅内閣への不信任決議案は、一昨日午後の衆院本会議での採決の結果、与党・民主党、国民新党などの反対多数で否決となった。

★社民・共産の2野党は事前に棄権、採決直前まで不信任決議案に賛成だった小沢グループは、欠席して棄権した。

★採決は記名投票で行われた。投票数は反対293票、賛成152票。小沢一派の松木けんこう(謙公)・前農林水産政務菅、離党する旨をを明確にしている横粂(よこくめ)勝仁氏は決議案に賛成した。採決の様子を私はTVで見ていたが、最初、賛成票が上回って可決されると思っていたら、何と反対が賛成を上回り、結果的に否決となってしまった。

★大山鳴動して鼠一匹(尤もこの場合は二匹だが)とはまさにこのこと。被災された人々から見ればとんだ茶番としか、いい様があるまい。


★否決後、賛成した松木氏は「ふざけんじゃねーよ!」等と、激しい怒りを記者団にぶちまけていた。自分が信じていた一派の、まさかの『寝返り』に、憤懣やるかたない様子であった。

★本会議を前に同日、首相・菅直人は国会内で開かれた民主党代議士会で、「(震災や原発事故の収拾の)一定のメドがつき、役割を果たした段階で若い世代に責任を引き継いでもらいたい」と述べて、対応に一応のメドが立った時点で辞任し、若手世代と交代する意向を明らかにした。


★ここまでTV等で見て知って、はぁ?と首が傾いでくるのを止められなかった。震災や原発事故の収拾のメドが一応立ったら辞めると言うが、それらの収拾はいったい何時付くのか、皆目わからない。本格的な復興対策を盛り込んだ2011年度第2次補正予算などの処理は、この否決で難しくなったといわれている。復興や財政の動きが滞ることがあっては、今は絶対ならないのに、菅の所為で滞りかねない。

★寧ろこれでかえって政権の求心力は失われ、与党を二分する混乱が更に激しくなる。現に今、そうなってしまっている。彼らと、永田町から遠く離れた被災地で毎日を必死で生きている多数の人々との間に、いまや完全なるギャップが出来てしまっているように思える。

★前首相・鳩山由紀夫は、前日に決議案に賛成していた。ので、昨日の代議士会にて「採決には是非賛成票を」と呼びかけたという。が、本番の採決ではホトンドが反対に回り、鳩山の呼びかけは反古同然となった。採決の後に彼が菅の辞任問題についていうには「6月中に退陣すべきだ」との考えを明らかにした。鳩山はまた菅について「男として、人間として許し難い」旨の言葉を述べているという。

★…此処まで書いていて、如何も震災の現状を、永田町世界の住人たちは、“切実なるわが事”として受け止めきれていないことが、今回の不信任案騒ぎで見えてしまったような気がする。

★被災者と同じ目線で語りかける事も出来ず、現地へと出かけていって手伝う事もこれまた出来ないのに、ただ東京の一角にすぎない永田町で、「菅を総理のイスから引き摺り下ろせ」のオンパレードで、これから如何するのか。

★原発の事故現場では今も、高い放射能含有率の汚染水がたまって、今月20日にも漏れ溢れる危険性が高まっているとや。おまけに今日、1号機の原子炉建屋内から湯気が立ち上ったというニュースは、避難区域に指定されている多くの人々の不安を書きたてていかねない。このようなことが起こっているのに、自分たちの党の中で脚の引っ張り合いなどやっていても、人々は救われず、死者も浮かばれまい。

★兎も角も、今、被災地で起きつつある、難しい諸問題に向き合うことなく放置して、党利党略に明け暮れているとは
何とも情けない。与野党は、今こそ本当に党利党略を捨て、超党派で震災や原発問題に向き合い、被災したそれぞれの土地で、今の時点、過酷な現実に向き合って生きざるを得ない人々の為に、「真剣」「奉仕」の心で懸命に事に当たってもらいたい。その際、首相が何もせずダメなら、潔く辞めてもらうべき。
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この大変な時期に…許されない事。 [ぼやき]

☆昼間、実に許せないニュースが伝えられた。野菜など食べ物関係を始め、各方面に波紋を広げ、未だ収拾のメドが立たない、例の原発事故。その原発事故に便乗したインチキ商売(=モンキービジネス)を展開していた会社社長と従業員がお縄になった、というのだ。

☆神戸の会社社長の男と28歳の従業員の女で、外国製の「ゼオライト」を含んでいると言う健康ドリンクを、薬剤師の資格もないのに、茨城県の主婦に対し、「放射線被ばくに効果ある」と謳って大量に売り込んでいたとのこと。ゼオライトとは、日本全国の地中に結構ある好物で、水の汚れなどは浄化出来るのだが、放射能は取り除けない、と専門家が明言している。

☆地震と津波と原発事故の三重苦に喘いでいる人々の心理を、こいつらは巧みに利用し、被ばくに何の効き目もないただのドリンク剤を論外な高値で売りつけ、ボロ儲けしまくっていた。悪質にも程があろうと言うものだ。

☆と思えば今度は殺人、それも被災した茨城県でだ。首をしめられた若い女性会社員(20歳)の遺体が川の中で見つかったという。何でも発見当時、死後1日から数日経っていたとか。この会社員は車に乗って出勤したあと、午後3時頃に退社し、そのまま夜になっても帰って来ないのを不審がった両親から捜索願が出されていたとや。


☆私がこの文章を書いている時点で、果たして女性を殺した犯人の手がかりはつかめたのだろうか?

☆日本が今大変な時を迎えていると言うのに、何故また詐欺や殺人なんて事を起こす奴等が出てくるのか。震災後暫くの間、車からガソリンを盗む奴や被災した店から現金を盗む奴…火事場泥棒が横行していたし、義援金を装った詐欺は後を絶った験しがないし、その上、とうとう上に書いたような原発関連の詐欺まで起こる始末だ。

☆さほど被災しなかった東京に住んでいる私などは「こんなん許されるかいな」と憤慨しきりだが、今週の日曜の朝、あるTVを見ていたとき、出演者の1人が被災地を訪れた体験談を話していた。その中に避難所生活をしている人たちが火事場泥棒について「(盗みたい)気持ちは良く分かる」と語ったという話が出てきた。それを聴いて、こう思わざるを得なかった。

 “そうか…被災した人々は、都会の我々の想定以上に貧窮し、泥棒に憤慨する気力すら失ってしまっているのだ  な…。”


☆今日の夕方も、スーパーに寄る。納豆のコーナーを見る。売り切れ状態。嗚呼、何時になったら…と思い、そこを後にする。青果コーナーでは、茨城県産の水菜やイチゴを売っていた。水菜は摂取制限対象外の野菜だが、風評被害の所為で売上げが芳しくないという。納豆は計画停電とラベルの印刷素材の不足により、定番のブランドのものは入荷が少なくなっているという。

☆それでも、ひところ少なかったもやしや卵は、ここ数日で安定した量が入荷されるようになったらしく、今日もコーナーに溢れるほどあった。


☆それにしても、つくづく思うことは、あの震災以来、例の巨大津波に何もかも流されてしまったあとのように、自分の心の中にわだかまっていた、色々なプライベートの細かいことごとくが、あっという間になくなって、我ながら不可思議なくらいに、透明な気持ちになった、ということ。

☆そして、もっと人の心がわかるようになりたい、と以前よりも強く、思うようになれた。また、もっと人に、やさしくなれるかもしれないとも、思えるようになった。

☆この未曾有のときを機に、私はいま一歩、前に進む事が出来るかもしれない、否、出来る。かすかにだけれども、そのような確信が、今、自分の中に生まれている・・・。
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重い・・・。 [ぼやき]

@本日の午前1時前現在、Twitterには何とかログインでき、幾つかつぶやけたが・・・。相変わらず、重かった。ある人のつぶやきによると、中国の沢山いるネットユーザーがTwitterにログインし、バンバン使っているらしい。

@それで、この間から調子が良くなかったのか。でも、それは恐らくは二次的な理由で、一番の理由は自分のPCがTwitterを表示するには非力になりつつあることなのだ、と思う。

@なので、“目詰まり”なくTwitterを使うのは、当分は土曜、銀座か渋谷のアップルストアにて、店頭のMac試用機で、ということになりそうだ・・・嗚呼。

・・・・・・・・

@NZクライストチャーチ大震災は、安否不明者の捜索進まず、身元確認も遺体の損傷激しきゆえに時間は相当かかる、と現地警察当局。不明の肉親の行方を案じる家族等にとっては、哀しい知らせを聞くのを、恐らくは覚悟で、肉親の手がかりが、出来うれば早く欲しいところだが、そうはいかないのかもしれない・・・。

@国内は国内で、与党を離反した小沢寄りの16名の新顔議員たちは、このさい離党を思い切って決断したらどうか。会派離脱はしました、でも党からは離れません、では支持者、そして世間は納得するまい。

@リビア情勢がいま非常に緊迫している・・・。最早狂気の沙汰のカダフィ。反対派市民を皆殺しにせよ、と自分お抱えの傭兵に命令、市民を無残に殺害させている。側近の高官らの中には、これらの事態に愛想をつかし、カダフィから離脱し、年長者と学識経験者からなる、いわば「国家再建委員会」のような組織につく人も出る始末。カダフィとその一派一族の命運の尽きる日は近い。

@河津の早咲き桜は今が見頃と。花が染井吉野よりも濃い、やさしいピンクで花期が長く、咲き始めから散るまで2週間ほど長持ちするそうな。そういや、千代田区一ツ橋の丸紅ビルにはその河津桜が今、満開とや。伊豆では菜の花のツーショットが現地の人と観光客とを楽しませている。

@世界も国内も世知辛い話題が多いこの頃、せめて春の訪れを告げる早咲き桜と、上野動物園に久々にやって来る2頭の可愛いパンダが、私たちの心を慰めて、元気付けてくれる事だろう。
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英国と日本の「お笑い」の差を感じた~いわゆる「QI」事件~ [ぼやき]

@先日、BBC(英国放送協会)制作の人気お笑い番組「QI」でヒロシマとナガサキで二度原爆にあい、生き抜いた山口彊(やまぐちつとむ)さんを取り上げ「世界一運が悪い人」と揶揄し「被爆者を嘲笑」…と、日本のマスメディアが取り上げて騒ぎ、国内のツイッターやブログで取り上げられていることについて書く。

@この事件を、自分はTVニュースで知った。瞬間、うむむ・・・と思った。ヒロシマとナガサキに世界初の核兵器である原子爆弾2種(リトルボーイとファットマン)を落とされ、核被害をリアルに体験した我々日本人にとって、この「QI」での“おちょくり”は、屈辱と怒り、悲しみを齎すもの以外の何ものでもなかった。

@しかし、英国の事情を考えれば、現地では核兵器投下の体験がなく、かつ第二次大戦時の日本のイメージといえば、“英国人の捕虜をとったこと”しかすぐに思い浮かばず、あと「日本はナチス独逸やファシスト伊太利亜と枢軸国同士だった」というのしかないので、被爆者の事情について殆んど無知なのは致し方ない面もある。

@英国のコメディの伝統について、以前ある英国通著名人の講演会等で幾許か聞かされたことがあり、それによると、英国コメディには、日本のコメディアンならばまずツッコメない事例(例;障害者、皇室(王室)、社会的議論を呼びそうなもの、同性愛者、社会的偏見を受けやすい病の人、特徴的外見の人など)に対して「果敢なツッコミ」を入れる、というのが基本的な伝統だという。例えば、障害者(障碍者)を取り上げるコメディの場合、障害者に対して差別感情を持つ人の滑稽さと馬鹿馬鹿しさをツッコンだ笑いに買えて、みんなでその滑稽さを笑うのである。

@そしてそれは“綱渡り”のようなものだと、ある英国コメディアンは言っていたそうな…。タイトロープからちょっとでも脚を外してバランスを崩したら、失敗して自分が大怪我をする。悪い場合、死ぬ事もある。それと同じで、笑いが取れるかどうかのギリギリのところを探りながら突っ込んでいくという英国のお笑いは、一つ間違えば、(場合によっては)取り返しのつかない“自爆”の可能性を秘めていると思う。若し自爆の場合、ネタ元への「批判」や「中傷」、あるいは今回のような「嘲笑」になってしまい、結果的に笑いが取れなくなるのだから。

@実際、ダイアナ元皇太子妃の事故死以来、「王室ネタ」がやりにくくなった、とぼやいているコメディアンもいる。自国であろうが他国であろうが、「客に大きく受ける」か「スベって自爆する」かの間の、微妙なバランスを探りながら果敢にツッコミまくる英国コメディの、そこが長所であり短所であるのかもしれない。

@今回の「QI」」事件について、ネットサーフィンをしていたら、その放送内容を淡々と素直に記述した個人のブログがあった。読むと、彼等が本当に突っ込んで笑いにしているのは、上述の山口さんではなく、英国の鉄道だったことが解った。尤(もっと)も、そこに至る前に山口さんのことを、言わば「小ネタ」にしていたことは、やはり日本の被爆者の心象を悪くしたとしかいえない。

@在英日本大使館は、この番組について、BBC及び関係者に抗議し、これに対してBBC側が陳謝したということだが、日本国内には「あんなふうに被爆者を笑い者にしたのは絶対許せない!」と言う声がまだまだ強いようだ。当事者の陳謝に関わらず、日本で未だに「許せない」感情が抜けないのは、ひとつには日本側メディアの、この事件の紹介が「英国番組、被爆者を嘲笑」といった、お決まりの「紋切り型」だったこともあるかもしれない。

@ともあれ、英国コメディアンは自分がこれは!と思ったネタで、“大きな笑いが取れる”か、それとも“大きくスベって怪我する”かのギリギリのところで勝負をかける。若し、スベって怪我した場合、今回のように自他共に傷つき、お互いに不幸な結果になってしまうこともあるわけで、この場合はネタ元となった相手に対し真摯に謝罪し、反省しなくてはならなくなる。

@対して、日本のコメディアンのやる事は、英国のそれと比べると、命がけの綱渡り、というギリギリ勝負とはいえず、寧ろ別のところで勝負をかけて、お客を笑わせている。つまり自分がヘンな事を言ったりやったりして、客から笑いを取ろうとするのである。もしギャグがスベって客が受けなければ、そのコメディアンは当然がっくり来るが、英国のように障害者などをネタにしていないので、ある意味「人畜無害」といえるし、別の角度から見れば「ゆるい」といえる。

@何故日本で被爆者や障害者を扱ったお笑いが出来ないのかというと、被爆者や障害者をネタにした笑いが即「彼等への差別や侮辱」に繋がる、と考えるからである。それにこの島国では、差別や偏見に直結する事例については「人権」への国民感情に関わるから「笑い」に出来ないという「不文律」がいつの間にか出来ているようなのである。(・・・40年以上前なら、TVに出せないお笑いには結構その手の、今でいう差別ネタが多かったような・・・)

@自分は以前、フツーのお笑いさんたちと協力して、障害者自身が自らコメディアンになり、体当たりで健常者から笑いを取ろうとしていた番組を観たことがある。(NHK教育で昨年放映された「笑っていいかも!?」という番組だった)

@自分がこれを見るに、笑えたものもあったが、笑えないものが圧倒的だった。やはり障害者がお笑いさんとなり、客から笑いを取るということは、日本の風土では難しいのか。これが若し英国であったなら、多少なりとも笑いが取れたかもしれないが、しかし、障害者を笑いのネタにしているのは英国でも健常者で高い教養の人がホトンドのようだし…。

@ともかく、この事件を通して思ったことは、2つの国のお笑い風土の違いもさることながら、互いのコミュニケーションをもう少し密にし、相互理解を得るということが如何に大切か、ということだった。対話が大事といわれながら、一向に相手を知ろうとせず、ただお互いを差別と偏見、憎悪の対象として見做し、故に相互理解が進まない世界の情勢を思うと、英国と日本は、(ある英国通も言っていた事だが)今回の椿事にめげて互いを敵視することなく、寧ろお互い、教育や文化など、いろいろな分野での交流を深めていってほしい、と思うしかない。
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脳型コンピュータの時代が来るのか? [ぼやき]

@今年も数えてあと5日。少し前にこの日記で脳型コンピュータの話をアップしたことがあるが、今日はそれについて少し詳しく書いてみたい。多少、参考の為に引用したニュースサイトからのコピペが入るかもしれないが、その点何卒、御容赦を…。


@今年6月のことだった。ソフトバンク・孫正義社長が株主総会の後、自身が描くところの「新30年ヴィジョン」について語った。

 「人智を超えた“脳型コンピュータ”が生まれる」
 
 「30年後には、紙の新聞や書籍はほぼ100%ない」

@恐ろしく大胆な予測だ。もっともこれは孫氏が「30年に一度の大法螺」と前置きして語った事なのだが…。


@彼の語った「大法螺」ヴィジョンの詳細はこうだ。⇒“次の300年には情報産業の発達が、人類史上最大の『パラダイムシフト』を齎す”

 “300年後の人類は、人の脳をはるかに超越した『超知性』を持つ人工知能と共存し、テレパシーのようなコミュニケーションを行い、平均寿命は200歳になる”

@おそらくこれを、孫社長は希望に燃えて語ったと思うが、そんな時代は気持ちが悪い、と直感した。性能が箆棒に進化した人工知能と『仲良く』共存し、平均寿命が200歳になるなんて、にわかには信じがたい。第一、そんな時代が来る前に、少子高齢化に悩まされているこの島国なんか、下手したらとっくに滅亡しているかもしれないじゃないか。

@テレパシーの如くコミュニケーションするって?言葉を使わず「想念」だけで?以心伝心?まるでSFだが、コンピュータの進化の歴史がどのように綴られてきたかを考えると、SFの中の話だと思っていたものがテクノロジーの進歩により実現していたりするからコンピュータの進化は恐ろしい。

@孫社長の話はまだ続く。→“CPUの中にあるトランジスタの数は、今から8年後の2018年に、人間の大脳の神経細胞数である300億個を突破する…さらに2100年には大脳の1ガイ(ガイは土{つちへん}に亥の字)倍(=1兆の1億倍)になり、2200年には1ガイの2乗、2300年には1ガイの3乗、と、途方もない数の素子を搭載したチップが生まれる。(←孫正義自身によるムーア法則をベースにした計算に基づく)”

@我々人間の脳細胞の数を超えたトランジスタを持つCPUが生まれるのは今から僅か8年後?それからだんだんに基盤に乗るチップが増えていき、終いには1兆の1億倍の3乗という数になる…。何か人類の存在価値が小さくなるような、そんな気がしている…。その後孫正義はこう続けている。→“圧倒的計算能力を持ったチップが生み出すのは、自己学習機能を具えた、“脳型コンピュータ”…。

@若し自分の予測どおりにこの手のコンピュータが主流になったら、我々の知能なんてアメーバ以下になる、というように孫正義は言う。コンピュータが人間を超えてしまう…。

@…と、ここまで書いたが、さやかながらも、何とも言い難い恐怖感を感じている。コンピュータが脳型に進化し、更に我々の頭脳の能力を凌駕するようになったら、我々の存在価値は明らかに小さくなってしまうのではないか。だいたい、そこまで進化したら、人間の脳に特有の『新しい何かを生み出す』創造性までも、コンピュータは易々と手に入れ、結果、我々を様々な形で「支配」したりしないのか。


@孫氏の話は続く。→“人とコンピュータの共生を実現する為に、コンピュータに『感情』を持たせることが、『正しい進化』。”

 “人間の脳は、感情の趣に従って、知識と知恵を使い、その感情は食欲などの生理的な欲求から、自己実現や愛といった高等な欲求まで存在する。そして高等な感情が、本能的な感情を制御する事で社会的な行動が出来る”。

 “(だからこそ)高度な感情を人工知能に与える事が、人工知能の危険度を下げる”。

@人間の感情というのは確かに、生理的欲求から高等なそれまで幅広い。しかし、自己実現とか愛とかの奥深くには、エゴイスティックでマイナスな方向に向かわせる“衝動”が隠されていたりする。ので、決して単純なものではない。

@仮令、人工知能に高等な感情を持たせても、知的能力が人間を超越している脳型コンピュータと雖(いえど)も、何かの拍子にエゴイスティックな衝動が生まれ来る事もありうるはずだ。

@ということは、コンピュータが進化すればするほど、その性質が我々の世界に備わっている『偶有性』のようなものを帯びてくると考えられる。コンピュータが脳に近づき、それを超えたとき、彼等も偶有性を具えた『生きた機械』となってしまうかもしれない。

@そんな時代になったら、果たして我々は『偶有性』と『知性・知識・創造性』を持った『機械』と共存しきる事が出来るのか。そのときが来ないと解らないかもしれないが…。少なくとも自分は、そんなコンピュータの進化の『未来予想図』に、何処か不気味なものを如何せん、感じてしまうのだ。この感じが何卒杞憂であってほしいと思わざるを得ない。

果たして「コンピュータは人脳を超えてしまう」のか? [ぼやき]

@今年10月にコンピュータの将棋ソフト“あから2010”と清水市代・女流王将に勝利した、というニュースは津々浦々に広まっているので、将棋に興味のある方にはご周知のことであろうと思う。

@また内部告発サイト、ウィキリークスの活動は、国際社会が内緒にしている機密情報が衆目に晒された事で、大きな話題を呼び、また問題になっている。

@いずれの事柄も、コンピュータの光のような進歩が齎したことだ。

@サンデー毎日11/14号掲載のコラム「文明の星時間」で筆者の茂木健一郎は、この将棋ソフトの「快挙」を取り上げて、冒頭でこのように述べている。↓

 『文明は、人間の生み出した子供。その成長ぶりは凄まじい。子供が親を追い抜かす。そんな歴史的な瞬間が、打ち寄せる波のように次々とやって来る。近年の主役は、コンピューターだろう。……大量の情報の蓄積、検索については、コンピューターはもはや私達の遠く及ばない領域へと行ってしまった。……人間が辛うじてコンピューターを上回っているのは、考える事や感じる事、何かを生み出す事。「創造性」に関して言えば、確かに人間の方がはるかに優れている。しかし、そのような優位が何時まで続くのか、何の保証もありはしない。』

@いつかは創造性をも、進歩次第で自分のものとしてしまうかもしれないコンピュータ。あるIT企業の社長は、30年後、300年後の未来について「高度に進化した『超知性』をもつ『脳型コンピュータ』があらゆる分野で活躍する」旨の講演を、株式総会の後で述べていた。若し彼の予想通りに事が進めば、彼等は人脳の持てるすべての力を超えてしまうだろうと、このことが書かれたサイトの記事を読んで、ひそかに危惧した。


@果たしてこの先、コンピュータは人脳を越えてしまうのか?茂木が言うように、そうならないという保証はまったくない。
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