2008-07-05
@7月最初の土曜日。…いやぁ、本当に暑かった!
@半ドンの仕事を終え、外に出ると梅雨明け間近らしく、がっ!とお天道さんが照りつける。ジリジリ焼ける肌とアスファルト地面。熱禍地獄だ。もっとも、真夏ともなれば…こぉんなもんじゃない!
@ジリジリと地上を焼く太陽を避け、日陰をなるべく歩く。駅につく。電車に乗って、空いている座席を見つけて座る。あ~しんどかったわぁ~。
@電車に揺られつつ、何故か上野に行こうと思いつく。そうだ、上野は東京藝術大学の美術館で「BAUHAUS DESSAU」展が開催している最中なので、それを観に行こうと思い立ったからだ。
バウハウスといえば、現代の建築・意匠様式に大きな影響を与えた、20世紀初頭の独逸(当時はヴァイマール共和国といった)から始まった藝術運動。その教育機関がデッサウにあった時代があり、創始者のグロピウスを始め、パウル・クレー、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ=ナジといった、名だたる藝術家たちが教授もしくは学校長をつとめたことでも有名だ。
@残念なことに、1930年代になってヒトラーが台頭してきた為、実質的には14年ほどでバウハウスの教育機関は閉校のやむなきに至るわけだが、その精神を受けつぐ「バウハウス・デッサウ財団」が、21世紀の住環境などの再構築、あるいは創製の為に今も活動をつづけているとか。
@展示を見ると、実に面白い図形の数々。全て当時の生徒サンたちの演習作品である。ちなみに、日本からの留学生の作品も同美術館に展示してある。ただし、これは「芸大コレクション展」のほうに展示してあるのだが。
@それにしてもバウハウスというのは、実に機能的なデザインを生み出していったんだな…。人間の使い勝手について、よく考えこまれているなァ、と展示物をみて感心している自分がいた。
@然し一方では、そうした機能的という枠にとらわれない、自由な造形もあったわけで、当時の生徒サンの作品にもそういう自在な作品があった。
@印象的だったのは、赤い丸から太い針金が螺旋状に飛び出している作品。螺旋の針金がとても生きているようだ。
@バウハウスは、他にも舞台藝術に力をいれており、その記録映画が本展の会場内で上映されていた。抽象的ないろとりどりの○をまとった踊り子、肉アツのボディスーツに銀の仮面をかぶって、3枚のついたてを動かしながらのモダンダンスは大変に面白かった。
@現代も不安な時代だが、バウハウスのあった時代も不安な時代だった。なにせ数年後にはヒトラー率いるナチが台頭してしまう、というとんでもなさだったから。それでも当時を生きた藝術家たちは、より自由で新しい表現を求めて、実に実験的な試みをおこなっている。その成果は当時発行されていた藝術関係の雑誌やポスターなどに、デザインとして現われている。
@自分自身も大いに刺激をうけた、今回の展覧会であった。
@でもって、展覧会を見たあと、今度は動物を見に行こうと思い立ち、動物園に赴いた。あと50分ほどしか動物が見られないので、不忍池に面した、動物園の西側に出た。池には河鵜(カワウ)とか桃色ペリカン、日本コウノトリ、タンチョウなど、たくさんの水禽が観られた。ペリカンがとても大きくて、大変に目立っていた。しかも、身体を覆う羽毛の色が、白に近い淡いピンク。水かきの大きな足も、ピンクだ。だから桃色というわけ。…因みに、鵜もペリカンも同じ科の水禽である。
@イマドキの不忍池は池一面に蓮が広がって、緑一色にみえる。その上をトンボがホバリングしたり、すいすいと飛び回ったりしている。
富んでいるのはコシアキトンボとシオカラトンボが主だった。東京の真ん中ほどでトンボが観られるのは、ここ上野不忍池くらいだろうなぁ。
@巨大な蓮の葉の陰から、薄紅色をした蓮の花の蕾が姿を見せていた。あぁ、ここもすっかり、夏だなァ…。
@半ドンの仕事を終え、外に出ると梅雨明け間近らしく、がっ!とお天道さんが照りつける。ジリジリ焼ける肌とアスファルト地面。熱禍地獄だ。もっとも、真夏ともなれば…こぉんなもんじゃない!
@ジリジリと地上を焼く太陽を避け、日陰をなるべく歩く。駅につく。電車に乗って、空いている座席を見つけて座る。あ~しんどかったわぁ~。
@電車に揺られつつ、何故か上野に行こうと思いつく。そうだ、上野は東京藝術大学の美術館で「BAUHAUS DESSAU」展が開催している最中なので、それを観に行こうと思い立ったからだ。
バウハウスといえば、現代の建築・意匠様式に大きな影響を与えた、20世紀初頭の独逸(当時はヴァイマール共和国といった)から始まった藝術運動。その教育機関がデッサウにあった時代があり、創始者のグロピウスを始め、パウル・クレー、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ=ナジといった、名だたる藝術家たちが教授もしくは学校長をつとめたことでも有名だ。
@残念なことに、1930年代になってヒトラーが台頭してきた為、実質的には14年ほどでバウハウスの教育機関は閉校のやむなきに至るわけだが、その精神を受けつぐ「バウハウス・デッサウ財団」が、21世紀の住環境などの再構築、あるいは創製の為に今も活動をつづけているとか。
@展示を見ると、実に面白い図形の数々。全て当時の生徒サンたちの演習作品である。ちなみに、日本からの留学生の作品も同美術館に展示してある。ただし、これは「芸大コレクション展」のほうに展示してあるのだが。
@それにしてもバウハウスというのは、実に機能的なデザインを生み出していったんだな…。人間の使い勝手について、よく考えこまれているなァ、と展示物をみて感心している自分がいた。
@然し一方では、そうした機能的という枠にとらわれない、自由な造形もあったわけで、当時の生徒サンの作品にもそういう自在な作品があった。
@印象的だったのは、赤い丸から太い針金が螺旋状に飛び出している作品。螺旋の針金がとても生きているようだ。
@バウハウスは、他にも舞台藝術に力をいれており、その記録映画が本展の会場内で上映されていた。抽象的ないろとりどりの○をまとった踊り子、肉アツのボディスーツに銀の仮面をかぶって、3枚のついたてを動かしながらのモダンダンスは大変に面白かった。
@現代も不安な時代だが、バウハウスのあった時代も不安な時代だった。なにせ数年後にはヒトラー率いるナチが台頭してしまう、というとんでもなさだったから。それでも当時を生きた藝術家たちは、より自由で新しい表現を求めて、実に実験的な試みをおこなっている。その成果は当時発行されていた藝術関係の雑誌やポスターなどに、デザインとして現われている。
@自分自身も大いに刺激をうけた、今回の展覧会であった。
@でもって、展覧会を見たあと、今度は動物を見に行こうと思い立ち、動物園に赴いた。あと50分ほどしか動物が見られないので、不忍池に面した、動物園の西側に出た。池には河鵜(カワウ)とか桃色ペリカン、日本コウノトリ、タンチョウなど、たくさんの水禽が観られた。ペリカンがとても大きくて、大変に目立っていた。しかも、身体を覆う羽毛の色が、白に近い淡いピンク。水かきの大きな足も、ピンクだ。だから桃色というわけ。…因みに、鵜もペリカンも同じ科の水禽である。
@イマドキの不忍池は池一面に蓮が広がって、緑一色にみえる。その上をトンボがホバリングしたり、すいすいと飛び回ったりしている。
富んでいるのはコシアキトンボとシオカラトンボが主だった。東京の真ん中ほどでトンボが観られるのは、ここ上野不忍池くらいだろうなぁ。
@巨大な蓮の葉の陰から、薄紅色をした蓮の花の蕾が姿を見せていた。あぁ、ここもすっかり、夏だなァ…。
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