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心は、生きている。~『プロフェッショナル 仕事の流儀』より~

@賃金が低く、過酷を極め、辞めていく人も多い介護の現場。


@中でも認知症の人を支える介護は、脳の機能が壊れた人を相手にするから、なおさら過酷ともいえる。


@認知症で言葉と記憶とを喪いつつある老齢者たちは、心の奥底に、常に不安を抱えている。その不安が、徘徊などのとっぴな行動にあらわれてくる。

@しかし、脳がこわれても、彼等の心が決して死んだわけではないという。心は、生きているのだ。

@今夜、『プロフェッショナル仕事の流儀』を見た。認知症を介護するグループホームで働く介護のエキスパート・大谷るみ子さん。

@お年寄りの話に耳を傾け、その心の奥底から聞こえる、叫びや思いを聞く。無心にその人の心と、向き合っている。

@向き合ううちに、その叫び、本当に言いたかったことが見えてくる。相手の心の内側が見えてくる。心が生きているからこそ、無心に耳を傾けるうちに、その人の思いが感じられるのだ。

@しかし、こうなるまでには、大変な手探りと試行錯誤が要る。大谷さんも、その手探りと試行錯誤のプロセスを重ねていくうちに、認知症の御老人たちの、言いたいことや、秘められた思いを知ることができるようになったのだろう。

@認知症の介護でやってしまいがちなのが、虐待である。大谷さんもかつて、鍵のついたつなぎ服を着せられたお年寄りを見て、心を痛めたという。そのお年寄りは、服を脱いで全裸になってしまうから、鍵着きの服を着せたのだという。「人間として扱っていない」…しかし、そんな彼女にも、つなぎ服を着せたそのスタッフと同じ「認知症だから仕方がない」という弱い部分があるのを知る。

@私自身も、かつて、TVのドキュメンタリーなどで、徘徊を防ぐ為に、認知症の老人をベッドに括りつけているといった老人虐待の実態を知り、何と非人間的なのか、と憤った記憶があるが、考えるに、いざ自分がヨイヨイになって、ボケが込んでしまった時、相手の心がわからないダメな介護ヘルパーの所為で、自宅か施設か病院か分からないけれど、徘徊できないように病院のベッドに括り付けられてしまうかも知れない。

@認知症の介護で大切なことは、まずその人の目線になり、語ることに耳を傾けつづけること。意味がわからなくても、ずっと聞いてあげること。そうすると、相手は次第に、介護者に向かって心の奥に有ることを見せてくれるだろう…。大谷さんの行動は、そのことを証明してくれているのだ。
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