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レスラーの死に思うこと。 [独白]

@昨日のエントリーで、プロレスラーの三沢光晴が広島での興行で、相手にバックドロップを決められたのがもとで、頚髄離断を引き起こし、亡くなったことを書いた。


@頚髄離断とは、頚椎の中を通っているクビの部分の脊髄(頚髄)が切れてしまうことをいう。三沢はこれが原因で命を落とした。

@ニュースでは三沢がバックドロップでマットに強く叩きつけられた為に、意識を失い動かなくなり、心臓マッサージが観客の「三沢!三沢!!」コールに包まれる中で行われたが、蘇生する事無く、搬送先の病院で死亡したというが、死因の頚髄離断は、マットに後頭部を叩きつけられた、その直後に起こったのかもしれない。

@三沢は師匠であるジャイアント馬場亡き後、プロレスリング団体「ノア」を立ち上げ、その社長として経営に力を入れる傍ら、馬場と同じように、現役レスラーとして、リングに立ちつづけ、ボロボロになるまで肉体を酷使していたのに相違ない。


@人間というのは、ほんのちょっとしたきっかけで、命を落とすものなのだ。また、悩みに押しつぶされ、何時か死の世界に吸いこまれていく者もいる。

@電車の踏切でいきなり跳ねられ死んだり、刃物を持った機知害にいきなり襲われ、刺されたのがもとで死んだり、あるいはいきなりクルマに跳ねられ頭などを打って死んだり…。ほんの少しのことで、人はいとも簡単に死ぬ。屈強なプロレスラーでも、肉体を極限まで駆使した挙句、ボロボロになっているに違いない。うちどころが悪いと、三沢のように死の世界へ速やかに吸いこまれていってしまう。

@その一方で、死んでもらいたい、と思っている人間が、事故とも事件とも無縁でのうのうと豪邸の中で生きていたりするものだ。我等が住む世界というのは、考え様ではまことに不条理に出来ているようだ。

@それでも、その不条理を受け入れて、我々は日々を生きていかなくてはならない。確実性と不確実性が荒縄のようにあざなえるこの三次元世界で、有限の生を与えられていることを在り難く感じつつ、懸命に日々を生きていくしかないのだ。しょせん何時かはみな、死ぬんだから。
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