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サヨナラ、あの熱き日々の残照よ…音楽家・加藤和彦氏が急死 [雑文]

@『帰って来たヨッパライ』『あの素晴らしい愛をもう一度』『悲しくてやりきれない』など、’60年代後半~’70年代前半にかけ、今も口ずさまれる名曲を作ってきた、音楽家の加藤和彦さんが、宿泊先の軽井沢で亡くなっていたという。62歳だった。自殺とみられる。

@ニュースによると、宿泊先のホテルの浴室で首をつって亡くなっていた。兼ねてから患っていた鬱病を悪化させた末の自殺だという。


@加藤さんが「ザ・フォーク・クルセダーズ」(フォークル)のメンバーとしてデビューした時、1960年代後半の真っ只中、「安保反対・ベトナム戦争反対」の嵐が大学闘争という形で吹き荒れる、熱い時代だった。新宿駅の西口方面の地下にはギターを手にした若者たちが多数集まり、反戦・反体制のウタをうたっていた。世にいう『新宿フォークゲリラ』である。

@フォークルはそんなフォークゲリラの全盛時代に、出世作『帰って来たヨッパライ』でそれまでになかった「早回し」の技法を用いて、音楽界に新風を吹きこんだ。
作詞家センセイ、作曲家センセイ、プロの歌手センセイによって長いこと支配されてきた日本の音楽界にとって、フォークルの登場は、まさに革命的出来事であったろう。

@フォークルはその後『イムジン川』をリリースしようとしたが、当時の国内外の状況によって発禁となり、かわって急遽出したのが名曲『悲しくてやりきれない』(作詞:サトウハチロー)だった。これは『イムジン川』のメロディーを「逆回し」にした結果生まれた作品で、作詞を担当した詩人のサトウハチローが、このメロディーを耳にした時「悲しくてやりきれないねぇ」と言ったとかいうエピソードがある。


@その後、フォークルを1968年に解散した後は、北山修(きたやまおさむ)と『あの素晴らしい愛をもう一度』をリリースし大ヒットを飛ばす。それから、サディスティック・ミカ・バンドのメンバーなど、ミュージシャンとしての活動以外に、音楽プロデューサーとしても活躍し、吉田拓郎「結婚しようよ」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」などの作詞・作曲・アレンジ・プロデュースに手腕を発揮し、それぞれヒットを飛ばしてきた。

@加藤さんをよく知る人々は、あの人はずっと同じ所に安住しない人だった、時代の先端を走る人だった、と異口同音に述べている。


@映画監督の井筒和幸さんは、加藤さんの突然の訃報に際し、「後悔している」と述べ、またロック・フォークブームからの付き合いだというシンガー、泉谷しげるさんなども、自身のブログで哀悼の意を示しているという。その他多くの著名な人たちが、加藤さんの突然の死を悼んでいた。

@スポーツ紙も加藤さんの死を大きく扱い、時代を作ってきた音楽家がまたいなくなってしまったことに、驚きを隠せないようであった。


@時代と共に、多くは過ぎ去っても、よいものだけは残る。加藤さんは、その、よいものを残せた希有の人のひとりだったのではなかろうか。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(09/10/19 22:40pm 追記加筆)
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