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「仁丹」あれこれ。 [企業史・広告史]

@きょうは、言わずと世に最早知れた懐中薬「仁丹」についていろいろ書いてみたいと思う。全て記憶による記述になるので、若し違っていたらお許し下さい。


仁丹~近代懐中薬の始祖~


@明治38年(1905)、梅毒の特効薬「毒滅」、匂い袋「金鵄麝香」、美白剤「美白丸」、ルーデサック「やまと衣」などの販売元、森下南洋堂から、画期的な丸薬が発売された。


@「仁丹」。儒教の教えからとったとされる教育的ネーミング、ベンガラでコーティングされ、阿仙薬や肉桂(シナモン)、薄荷(ミント)など、16種の生薬から作られたその中身。しかし、仁丹の名前を天下に知らしめたのは、何と言っても商標の「ナポレオンハットに大礼服、胸部に「仁丹」と大書された額を掲げた、立派なヒゲのおじさんの顔」だった。


@この商標と中将湯の姫さまマークは、戦後、コカコーラが入ってきて、そのロゴにとって変わるまで、町のあちこちに見られた、というようなことが、天野祐吉さんの本「もつと面白い広告」(大和書房刊)に記されている。それほど、以前は我々の周囲に浸透していたマークだったのだ。

@仁丹を入れて持ち歩く詰め替えケースは、創売当初からデザインを凝らしたものが多く、初期の丸型容器をはじめ、鏡付きブック型ケース、アールヌーヴォーデザインのケースなど、いろいろと面白いものが出ている。ので、ツウにとってはこのうえないコレクターズ・アイテムとなっている。

@また仁丹は、素手にはやくからアジア各地に輸出され、タイランドあたりでは今でも赤粒の仁丹が売られているところもあるそうだ。

@仁丹の粒がそれまでのベンガラでなく、銀箔でコーティングされ始めたのは、如何やら昭和にはいって間もなくのころ(1929年頃)らしい。これで仁丹は今の銀粒姿になった。

@この頃から詰め替え容器もセルロイド製のものが誕生し、当時の満州国の国旗を象った「満州容器」や、地球儀を象った「防共容器」など、時代色を反映させたケースが現われる。(しかし、この頃はまだベンガラコーティングの“赤ダマ”仁丹も発売されていた)
なお、仁丹の会社は、1940年代にそれまでの森下博薬房から森下仁丹に社名変更した。

@第二次大戦で甚大な被害を受けた森下仁丹は、戦後の統制時代を経て、仁丹や歯磨などの製造を開始した。昭和30年代、初めて新しいプラスティックを使った丸型ケースが登場、社史によると『仁丹ケースの歴史に一時代を画す』とされる。その後、スリムパック(1995)、メタルケース(1992~現行)など個性的なケースが登場した。

@そのあと、様々な紆余曲折を経て、仁丹を入れて持ち歩くケースは何度もモデルチェンジを繰り返してきたが、中身の仁丹そのものは、コーティングがベンガラから銀箔に変わった以外は、基本的な処方は創売当初からあまり変化していないのではないのか。初め口の中でスースー、あとで苦味がくる仁丹。飲んだあとはお腹が何故かすーっとする。健胃作用のある生薬がやはり昔から使われているんだなァ。なお、現在では、仁丹は医薬部外品扱いになっている。他にうめ仁丹、グリーン仁丹などミンツ系の姉妹品がある。

@仁丹のTVCMは、これもやはり昭和30年代初頭から。♪じんじん仁丹じんたかたったった~、というフレーズが頭に残る曲が印象的だったという。因みに作詞・作曲は日本のCMソングのパイオニア、三木鶏郎。(←『鉄人28号』白黒TVアニメ版の主題歌も書いた人でもある)

@不肖ながら、ワタクシは、嘗ては銀粒仁丹よりも、うめ仁丹のほうが大好きでした。子供の頃良く買ってもらって、口に含んでう~ん、あまずっぺぇ~!なんて言ってた記憶がある。

@なお、森下仁丹は、現在「仁丹」シリーズで培ったコーティング技術をさらに発展させ、液剤を小さな丸い柔らかいカプセルに何重にも包んで入れるハイテクな技術を確立し、その成果は同社で今発売されている「ビフィーナ」(ビフィズス菌カプセルコーティング品)などに活かされているということだ。

※参考=森下仁丹歴史資料館、天野祐吉「もつと面白い広告」(大和書房)
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