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「生きた体系性」はネットにはない! [独白]

@昨日、近くの本屋で立ち読みした月刊誌「潮」の記事の中に、脳科学者・茂木健一郎氏による「『師を持つ』ことが生きる力となる」というのがあった。

@そのなかで、「生きた体系性」という言葉が出て来た。私の眼は、これにグッと吸い寄せられた。生身の人間の集まりだけが生み出す、生きた体系性。それはこんなインターネットでは、決して生まれ出ないものだ。


@ネットの世界には、ダイナミックな偶有性も、多様性も、そして上記の生きた体系性もない。全てが所謂「加工された」ものだけしかない。

@生きた体系性と出会うには、こんなふうにネットにかじりつかないで、外に出て、生身の人と多く出会わなくてはならない。ここからは茂木氏の記事の主旨と交わるかもしれないが、そして、これは!と思う人に食らいつき、その人から全てを吸収していくのが、「師を持つ」ことなのだと思う。そう、自らの人生で、師匠を得るということは、生きた人間のいる現場に飛びこみ、その体系性の中で掴まなくてはならないものなのだ。


@最近は「オレは師匠なんていらんわい、独りでずっと生きてきたもん」などと嘯いている人間も多いだろうが、そういう人間は、今まで生きてきた中で、生身の他人と全く触れ合ったことがないと言いきることが果たして出来るのか。また師匠のない人生は、その人に、死ぬまで本当に掛け替えのないものを齎し続けるであろうか。


@茂木氏の記事を読んでいの一番に思ったことは、『我以外皆我が師なり』という格言が、今の時代でも極めて必要な真理を含んでいる、ということだった。

@つまり、人間は生まれてこのかた、両親、友人、学校の先生など、いろんな人のいろんなアドヴァイスを受けて、生きる道を歩んできて、その人生の節目ごとに、後で考えて、自分に相応しい道を選んで歩んでいるということなのだ。

@記事の中で、一番苦しかった大学院を出たばかりの頃、さまざまな人のアドヴァイスを聞いて行動したら、最初の職場である理化学研究所に就職できたことを、茂木氏は述べている。

@オレはアドヴァイスはいらねぇ、師匠などいらねぇ!なんて言っているのは、歩む道を踏み外しかねないし、ある意味、不幸である。

@自分はこれからも、いろんな人を師と思い、また自分の人生に重大な教訓を授けてくれ、人間としてよく成長するのを促してくれる人を、人生の師と仰いでいきたい。
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