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連休の中日(なかび)。 [出歩く]

@秋の大型連休・シルバーウィークも、今日を含めてあと2日。残り少なくなった休日を惜しむように、有意義に過ごしていきたいと思う。

「クレヨンしんちゃん」作者急死の衝撃は、まだまだ続いているようだ。海外でも人気がある作品だけに、世界中のファンは悲しみに包まれているらしい。

@「とても残念だ」「子供の頃から兄弟で読んで、楽しんできた作品だ」などと、作者臼井儀人氏の急逝を惜しむ声は国内外を問わずして、今だ絶えない。

@通夜及び告別式は親族を中心に行い、非公開のうちに行われるとや。また、「しんちゃん」を連載してきた「週刊漫画アクション」の発行元である双葉社は、お別れ会を執り行うのだという。


@人間というのは、何時、何処で、何が原因で、死に至るか、分からないものだ。臼井さんは荒船山の断崖絶壁から覗きこんで写真を撮り、そのついでにうっかり足を滑らせて、絶壁から落っこちてしまったらしい。如何も自殺というふうには考えられないし、また考えたくないのが、遺族を含めた関係者の思いだろう。

@自分も何時、家族、知り合い、友人、大好きな有名人、尊敬する人が、どんな風に亡くなっていくのか、今のところは皆目、見当がつかない。愛する者の死というものは何時も“不意打ち”のような形で、生きている人に衝撃を与えるものなのだから。

@連休の中日(なかび)も曇りがちながら、晴れ間も覗き、歩くと少々暑かった。きょうは青山付近を散歩がてら、ある講演会のチケット(入場整理券)を入手する為、ある大手書店を訪れた。

@何せ先月から入場整理券が出ているとの情報があり、今月も20日を過ぎてしまったので、ひょっとしたら完売してしまい、入手できないかもしれない、それだったら仕方がないから、講演会に出る予定の人物が出している本でも買って帰ろうか、と考えながら、地下鉄に乗り、青山一丁目駅で降りた。

@青山一丁目から、件の書店までは、徒歩10分以上も掛かった気がする。青山子供の城の裏あたりに、その書店はあった。入り口まで行くのに、下りエスカレーターを使って降りなければならない。難儀なことだ。

@そうこうして書店に着いた。入り口を入ってすぐにレジを兼ねたインフォメーションが。そこにいたお姉さんに、「今度、〇〇さんと△△さんの講演会があるって聞いたんだけど・・・」と言いかけたら、姉さんは素早く、その講演会の入場整理券を出してくれた。なんと、まだ余っていたのである。これはラッキー。値段は¥800とや。千円札1枚をはたいて、おつり¥200をもらって、整理券を頂戴する。

@それから暫く、書店をまわって、めぼしい本がないかどうか見るが、如何もそそられる本がない。給料日からあとの土曜日にも訪れて、もうすこしまわってみようか知らん。そんな思いを残し、書店をあとにした。

@書店のエスカレーターをあがった上の広場にある、マリーゴールドの植えこみで、愛らしい蝶達の恋のやり取りを見る。メスのイチモンジセセリ(?)に後から擦り寄り、口説き落とそうとするオス。羽根を震わせて拒むメス。昆虫は大抵、メスよりオスのほうが小柄だ(カブトムシは逆だ)。その傍の花の上では淡い紫をした可愛いヤマトシジミチョウ(?)が、羽根を休めていた。と、そこへ別のオスがやってきて、2頭は素早い追いかけっこをしだした。メスは泰然自若そのもの。

@あんなに可愛い小さな蝶達も、恋の成就には必死なのだろう。それが命を次世代に繋ぐ使命を帯びている以上、彼等はイマドキの人間以上に命がけだ。使命を果たせば、あとは死ぬだけ。人間のように成就のあとも生き長らえて、おじいちゃん、おばあちゃんになる事はない。

@ただし、長い眼で見りゃ、人間だって、死に向かっていくわけだから、結局は昆虫を含めた、他の動物と変わらないもんな。


@表参道に出る。休日だけあって、人、人、人の大洪水。みんな思い思いのファッションで着飾っている。信号を渡り、「裏街道」に入ると、ゴスロリ系のファッションに身を固めた少女たちの一団を見た。

@一頃と比べ、減ったように思えるこの手の眼を引くファッション。メルヘン的な世界から抜け出してきたようなその出で立ちに、グワッと眼を惹かれないわけにはいかないだろう。

@けれど、彼等のファッションには、果たしてどれほどの「主張」が込められているのか。モッズにせよ、パンクにせよ、服飾の歴史を飾ってきたカウンター的ファッションには、それぞれなりの主張があったはず。

@ただ単にゴシック、バロック、ロココの各様式やメルヘン世界のテイストを取り入れただけの格好をするのは、考え物だと思うのだがねぇ。…まぁ、もっとも、ご本人達は、それぞれが精一杯の“主張”をしているのだろうけれど。

@そういうファッションも、その存在をいくら批判したって、なくなりはしないだろう。愛する人々がいる限りは。服装もそうだけれど、どんな世界にも多様性があるのは、この世の常だからだ。

@服装の多様性は見とめるが、思想の多様性については、この国においては、何処か複雑である。何故なら、思想の正邪の問題が絡んでくるからだ。邪な思想は、人民を不幸へ追いやりかねない。正しいものなら、人々を不幸から解き放ち、運命と闘う力をつけ、他者と自己の幸福を追求するようになる。

@思想、宗教なら何でもありだから、何でもいい、といった見かたは、もう時代おくれなのだと常に思う。いま世界が閉塞しているのは、その世界を支えてきた思想・宗教が、行き詰まりを見せているからなのだ。しかして、この島国の連中たちは、そのことについて、あまりに無頓着だ。今までの思想を幾ら掘り下げたって、行き詰まりは解消されはしまい。この世界が閉塞を打ち破るのは、万物の摂理を貫く生命哲学を秘めた、新しい思想なのだ。

@しかし、その新しい思想は、実はある伝統的な思想・宗教の中にある。その思想こそが、仏教(ただし、商売にかぶれ、教義が形骸化していない仏教)である。

@う~ん、話が難しい方向へ逸れた。とにかくも、原宿を散策する気持ちが起こらず、そのまま地下鉄に乗り、自宅のもより駅で降り、自転車に乗って帰宅した。時間を見たら、もう1時を過ぎていた。
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