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ケロリン。(前編) [企業史・広告史]

@頭痛・歯痛によく効く『ケロリン』。レトロなパッケージが特徴の、毎度おなじみ駱駝(キャメル)色の散剤である。

@かつては所謂『富山の置き薬』の一種として、他の配置医薬といっしょに、各家庭に配られていた事もあった。今は手軽にドラッグストアや一般専門薬局の店先で買える、すっかりポピュラーな存在となっている。

@『ケロリン』といえば、忘れてはならないのが、銭湯の桶。黄色いプラスティックの桶の底に

 『★★★頭痛・生理痛・歯痛★★★ケロリン★★★内外薬品★★★』

 と、上から順番に横書きされたロゴが特徴の、コレクターには堪らない素敵なアイテムとなっている。

@さて、そんな『ケロリン』だが、誕生の秘話を語る前に、まず製造元・内外薬品のあらましから書き起こさなくてはならないだろう。


☆内外薬品株式会社の誕生~ケロリン前史~☆


@1902年、20世紀にはいって2年目の時に、ケロリンを生んだ内外薬品株式会社は創設された。もともとは、武田、塩野義など名だたる製薬業界がひしめく、大阪は道修町(どしょうまち)から直に仕入れた原料薬品を、富山市内外の漢方薬製造会社に卸す、薬種卸問屋であった。

@当初は売り上げを順調に伸ばして、景気がよかったが、現代のように、進んだ経営術がまだ身に着いていなかったという、所謂「寄り合い所帯」であったために、まもなく経営破綻する。早くも内外薬品の未来に暗雲が立ちこめはじめた、その時だった。

 『ここまでやったものを…もったいないではないか。みんなで応援するから、是非引き受けてくれないか』

@上の言葉を発したのが、当時の経営陣から頼まれた3番番頭の笹山林蔵という人であった。


☆ケロリンの誕生~開発秘話~☆

@1925年、内外薬品は改めて個人事業からリスタート。笹山林蔵は、次第に「置き薬に何か、新しい着想を加えてみたい。お客さんが喜ぶ、新しい薬はないだろうか…」と考えるようになっていく。

@眼をつけたのは、その頃流行り始めていた、揮発性の水薬。額につけるとスーッと心地よくなるシロモノであった。これはいける!と思った林蔵は仏蘭西からアスピリンを輸入し、息子で薬剤師の順蔵と共に、文字通り社運を賭け、お客に歓迎されるような新薬の研究開発にとりかかった。ところが・・・!


@嗚呼何という不運か!事もあろうにその新薬の製造過程で“ドガーン!!”と爆発事故を起こしてしまった。この事故を教訓としたか、揮発性の新薬開発をやめて、散剤(粉薬)の開発にシフトした。水薬は運ぶ時如何しても重くなるので、どのみち置き薬には向かないとの判断もあった、という。この判断が、後に同社に幸運をもたらすことになる。

@アスピリンに肉桂を混ぜて作った散剤は、それまでの漢方薬と違い、効き目が早くて、しかもよく効く!と人々から評判となった。この散剤こそ「ケロリン」である。名付け親は研究開発の指揮をとった笹山順蔵である。名の通り、ケロリと痛みが治る「ケロリン」は、人々の心を、しっか!と掴んでいった。

@「ケロリン」は大々的な広告戦略により、売上げを伸ばし、人々の間にその名が浸透していった。「のんでよくきく頭痛薬」というキャッチフレーズの売りこみを含めた当時の広告戦略は、その頃盛んになり始めたボクシングと野球の試合との、タイアップ作戦であった。

@ボクシングでは、人気ボクサーの出る試合には必ず「ケロリン」の巨大タレマクが下がったものだったという。またボクサーが纏うガウンにも、「ケロリン」の4つ文字がついていた。

@1934年、ベーブ・ルースを始めとするメジャーリーガーと日本センバツ選手団との、野球史に残る大イベント、日米野球の試合では、これまた「ケロリン」の巨大タレマクが、総立ちの観客を出迎えていた。

@このように、ケロリンが全国区になっていく中で、内外薬品は、常にそれに甘んじない、油断しない姿勢を取り続けていた。笹山順蔵は、商売人である前に薬剤師であった。
 「売れれば売れるほど、吟味しろ」
 「最高の原料を使え、苦情が出るようなものは止めろ」
 「営業担当者、製造担当者は、知ったかぶりをするな」

@上の三つの言葉はすべて笹山順蔵の口癖であった。これらの中に、薬剤師としての自信と責任、品質へのプライドが含まれていた。厳しく徹底した品質管理を行うことで、大胆なPRも自信をこって繰り広げることができたというわけだ。


☆「ケロリン」類似品との闘い~商標権問題と取り組む~☆


@戦前に続き、戦後も売薬として絶大な人気を誇るケロリン。内外薬品も3工場でフル操業を続けても需要に追いつかない日々が続いていた。

@が、ここに、大きな“壁”が!ズバリ「商標権」問題である。当然乍ら、ケロリンもこれには、長いこと散々悩まされた。あの『メンソレータム』でさえ、「にせもの」、即ち「類似品」が雨後の筍の如くポコポコ出現したのだから。そういや、小さい頃はよく薬の広告などに「類似品にご注意下さい」と書いてあったような記憶がある。

@当の内外薬品でも、このままではイカン!ということで、篠山順蔵の弟・梅治が立ち上がり、問題解決の任にあたった。

@…「ケロサン」、「ケロゲン」、「ケロリブロ」、「ケロチン」、「ケロトン」、「ケロリ」、「ケロリー」…これらはすべて実際に発売された類似品の名前である。中には全く本家と同名の「ケロリン」というものまである。

@庶民生活研究家の町田忍さんのサイトにも、これらケロリン類似品の図版がアップされている。ので、興味がある方は「町田忍」で検索の上、御覧下さい。

@梅治は、類似品の製造販売元に対し、数度に亙って注意広告を新聞に掲載した。その結果、類似品は徐々に減っていき、完全に同名のものは姿を消し、「ケロリン」の名は不動のものとなった。

(後編に続く)

参考:内外薬品株式会社のサイト「メデシン・ロード 薬の道」より
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