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久しぶりに六本木に来た。 [雑文]

@久しぶりに六本木に来た。桜の咲き初めに合わせてか、アート・プロジェクトがこの町のあちこちで行われている。今年も「六本木アートナイト」の時期が来たんだなぁ。六本木ヒルズはきょうも人がたくさん来ていた。隣のテレ朝の、すぐそばの庭園『毛利庭園』の池にも、空気圧で膨らんだりへなったりする蓮の花の巨大金色オブジェが2つ浮いていた。

@7年ぶりにヒルズの森美術館を見に行ったら、六本木クロッシングというコンテンポラリーアートの展示をやっていて、展示されている作品の全てが、また批評的、刺激的!いずれも先行きが模糊として見えない現代と言う時代を批評し、批判し、告発しているようであった。

@印象的だったのが、ジャンク(ガラクタ)を集めて電気配線でつないで拵えた、ドンジャカドンジャカと鳴り響く、不思議な装置と、森村泰昌氏の「チャップリンの独裁者」の再構築作品。

@私は独裁者にはなりたくない・・・21世紀の独裁者は悪人の顔をしていない・・・目に見えない幽霊だ・・・狂気に満ちた独裁者を演じる森村氏と、「私は独裁者にはなりたくない」と語る同じ人の画面が左右変わり万古に出る。

@そこから、今と言う時代は、どんな人間でも独裁者になりうる時代なのだ、また、人間でない思想や企業すらも、まかり間違えば独裁者になって人間社会を一色に染め上げ支配してしまうという底知れぬ恐怖が秘められた時代なのだというメッセージを、観るものは受け取ることが出来る。

@会場の出口近くにある芸術家たちのメッセージの中で頭に残ったのは、「よく『アーティストは社会について語るべきではない』という言辞をよく聞く。しかしそれは『アーティストをマーケットが飼いならす為にマーケット自身が考えた詭弁』である」という趣旨の宮島達男氏のメッセージだった。

@イマドキのマーケットというものは、アーティストに限らず、実はどんな人間をも「飼いならそう」としているのに違いない。とりわけ若者、子供、女性・・・こういう人たちがマーケットにいわば“調教”されやすい人たちなのだろう。

@マーケットとかマスメディアとか、こういう権力的志向性を帯びやすい社会的事象に、飼いならされないように、本当に気をつけなくてはならぬ時代になってきたようだ。

@マスメディアの言いなりにならない。マーケットからは距離をおく。現在において、何かを創作するにはそういう姿勢が一番肝要になってくるのに違いない。

@この「六本木クロッシング」に展示された作品の全てが、私が思うに、何もかもが閉塞しきった世界や日本を覆い尽くす「壁」という「壁」に、何としても、風穴を開け、そこから強い“風”を吹かそうとしているようだった。

@私はそれが、社会に対する絶望を吹き飛ばす“希望”の風であってほしいと願っている。
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