「アンチ」よりは「オルタナティヴ」。 [独白]
@昨日、台風12号が近づく中、恒例というか何と言うか、例の朝日カルチャーセンターの講座「脳と心を考える~脳と音楽」を久しぶりに受講した。
@いつものように6時前に教室のある新宿住友ビルの7階へ。もう5年も通いつづけているだけに、いろんな思い出が詰まっている教室。何時まで…通えるか。教室は一番奥の71番。
@それはさて擱き、始業の数分前に座席へ。講師の顔が良く見え、また息吹きが伝わるように、私はどんな講師の授業でも、一番前かそのすぐ後に座る事にしている。もっとも、かの「もぎけん」こと茂木健一郎博士のやっている、この講座しか受講していないのだが。
@始業。しょっぱなからこの教室で、元気いっぱいな茂木博士の、バリトン(というかテノール?)の声が響く。
@5年間、このおじさんの響きの良い、張りのある声を生で聞いている。がしかし、声は変わらなくても、頭髪が5年前と比べて明らかに退色している。あと10何年もすれば、彼の頭はもしかしたら雪のように真っ白になるのかもしれない。
@まずは石川啄木の短文、そして『一握の砂』の青空文庫版サイトがスクリーンに。なんと啄木は「女たらし」だったという。『一握の砂』にもそれとわかる一連の短歌が…。こんなダメ男でも、つむぐ短歌は美しい。言葉の宝石だ。
@啄木の例で思い出したが、かのリヒャルト・ヴァーグナー。彼は、生前、殺人以外はあくどい事は何でもやったとか、それなのに、『ニーベルングの指環』『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルグのマイスタージンガー』のような、壮麗で美しい音楽を書けるのである…。芸術家個人の、私生活のダメさ加減と創造されるものの間の激しいギャップ。でも彼等は後世にそれぞれ、自分たちが紡ぎ出したその『美の精華』たちを残せたのだ。
@啄木に戻るが、彼はアナキスト・幸徳秋水やその仲間たちが仕掛けたとされる「大逆事件」に興味をもっていたという。これは天皇を暗殺しようとしたというかどで、多くの社会主義者たちが逮捕・処刑された事件で、幸徳らを除くお題多数は無実の罪をでっちあげられた。…そしてここから「アンチ」と「オルタナティヴ」の話に入る。
@「アンチ」はあくまで、自分たちが正しいと信じるやり方以外の、他のやり方は許さない、という立場。対して「オルタナティヴ」は、今までとは違う別の何かを生きる、という立場だ。
@「大逆事件」の時の公権力は「アンチ社会主義」だった。社会主義者の存在を絶対に認めない、というスタンスを取ったゆえに、無実の罪で事件の当事者とされた人々を処刑したのだった…。
@「大逆事件」は、まさに他の生き方、信条を認めない、当時の公権力が起こした冤罪事件だった。
@上に書いた事を紹介しつつ「『アンチ』を言って、言った気になる、というのが日本の『風土病』だ」と茂木博士は言った。
@ビートルズの映像が出た。「Norwegian wood」をジョンが吹き込んで、唄い終わって最後で「どんなもんだい!」と言っている映像を、博士自身がYouTubeを呼び出して、スクリーンに映しこむ。
@そしていろいろな姿をしたビートルズが、スクリーンに映る。「StrawberryFields Forever」、「Lucy in the sky with diamonds」、「Let it be」…出る映像全てが味わい深くて格好がよい。
@それから、ジミ・ヘンドリクスの映像も。ギターのプレイは流石に凄い!の一言に尽きる…。見事にロックンロール。
@アルバム「アビ-ロード」のレコード・ジャケットで、4人がこの「アビー・ロード」という道路を突っ切る姿。何時見てもいいもんだ。その後は日本の学生運動の映像。ヘルメットに手ぬぐいで覆面、ゲバ棒片手に機動隊とにらみ合うシーンを見て、思うに『嗚呼、ビートルズのオルタナティヴとは対極の不毛な闘いの映像だなぁ』。
@「ビートルズは、今までに無いそのものを示して実にいいオルタナティヴを生きている」、と茂木博士。「アンチは常に、何も生み出さない。オルタナティヴを生きていない」とも言っていた…。
@そういや、ツイッターでここ数日、「支那」「「反日」たといった汚い書き込みが目立ってきたなぁ・・・。私のTLにも「支那は国交断絶を!」という書き込みがあったにする。
@そんなことを、何もしないくせにつぶやいったって、結局は不毛。やはり「アンチ」は何も生み出さない。ただ憎悪と相互不信を増幅するだけ。…家に帰ってから、そう思わざるを得なかった。
@その他、よく言われる「プラシーボ効果」は、医療の世界でも注目されている、脳の部位の働きと関わる効果で、結構複雑なものだ、といった話も出てきたが、自分には、「アンチ」と「オルタナティヴ」の話が印象的だったかと思う。
@思えば、ツイッターで尖閣問題やNHKに絡んで「支那くたばれ」とか「犬HKがどーのこーの」、なんてつぶやいているのを見るたびに、胸くそがムカムカしてくる。
@茂木博士が今回の講座の中で言っていたように、彼等はただ「アンチ」を叫んでいれば『何かやったつもり』になっているのだろう。でもその行為は、憎悪と相互不信を膨らませるだけに終わってしまうのだ…ろくな事がない。
@結局「アンチ」は何でも停滞させてしまうものだ。寧ろ「オルタナティヴ」を生きるほうが創造的だし、何と言っても全てにおいて、停滞を齎さない。
@人間世界は畢竟、「アンチ」よりは「オルタナティヴ」。なんでも反対よりも、今までとは何か違った生き方を志向し、それを生きるほうが、なんていうか、ロックンロール的だし、何よりもあらゆる意味で人間的だ、と納得。
@いつものように6時前に教室のある新宿住友ビルの7階へ。もう5年も通いつづけているだけに、いろんな思い出が詰まっている教室。何時まで…通えるか。教室は一番奥の71番。
@それはさて擱き、始業の数分前に座席へ。講師の顔が良く見え、また息吹きが伝わるように、私はどんな講師の授業でも、一番前かそのすぐ後に座る事にしている。もっとも、かの「もぎけん」こと茂木健一郎博士のやっている、この講座しか受講していないのだが。
@始業。しょっぱなからこの教室で、元気いっぱいな茂木博士の、バリトン(というかテノール?)の声が響く。
@5年間、このおじさんの響きの良い、張りのある声を生で聞いている。がしかし、声は変わらなくても、頭髪が5年前と比べて明らかに退色している。あと10何年もすれば、彼の頭はもしかしたら雪のように真っ白になるのかもしれない。
@まずは石川啄木の短文、そして『一握の砂』の青空文庫版サイトがスクリーンに。なんと啄木は「女たらし」だったという。『一握の砂』にもそれとわかる一連の短歌が…。こんなダメ男でも、つむぐ短歌は美しい。言葉の宝石だ。
@啄木の例で思い出したが、かのリヒャルト・ヴァーグナー。彼は、生前、殺人以外はあくどい事は何でもやったとか、それなのに、『ニーベルングの指環』『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルグのマイスタージンガー』のような、壮麗で美しい音楽を書けるのである…。芸術家個人の、私生活のダメさ加減と創造されるものの間の激しいギャップ。でも彼等は後世にそれぞれ、自分たちが紡ぎ出したその『美の精華』たちを残せたのだ。
@啄木に戻るが、彼はアナキスト・幸徳秋水やその仲間たちが仕掛けたとされる「大逆事件」に興味をもっていたという。これは天皇を暗殺しようとしたというかどで、多くの社会主義者たちが逮捕・処刑された事件で、幸徳らを除くお題多数は無実の罪をでっちあげられた。…そしてここから「アンチ」と「オルタナティヴ」の話に入る。
@「アンチ」はあくまで、自分たちが正しいと信じるやり方以外の、他のやり方は許さない、という立場。対して「オルタナティヴ」は、今までとは違う別の何かを生きる、という立場だ。
@「大逆事件」の時の公権力は「アンチ社会主義」だった。社会主義者の存在を絶対に認めない、というスタンスを取ったゆえに、無実の罪で事件の当事者とされた人々を処刑したのだった…。
@「大逆事件」は、まさに他の生き方、信条を認めない、当時の公権力が起こした冤罪事件だった。
@上に書いた事を紹介しつつ「『アンチ』を言って、言った気になる、というのが日本の『風土病』だ」と茂木博士は言った。
@ビートルズの映像が出た。「Norwegian wood」をジョンが吹き込んで、唄い終わって最後で「どんなもんだい!」と言っている映像を、博士自身がYouTubeを呼び出して、スクリーンに映しこむ。
@そしていろいろな姿をしたビートルズが、スクリーンに映る。「StrawberryFields Forever」、「Lucy in the sky with diamonds」、「Let it be」…出る映像全てが味わい深くて格好がよい。
@それから、ジミ・ヘンドリクスの映像も。ギターのプレイは流石に凄い!の一言に尽きる…。見事にロックンロール。
@アルバム「アビ-ロード」のレコード・ジャケットで、4人がこの「アビー・ロード」という道路を突っ切る姿。何時見てもいいもんだ。その後は日本の学生運動の映像。ヘルメットに手ぬぐいで覆面、ゲバ棒片手に機動隊とにらみ合うシーンを見て、思うに『嗚呼、ビートルズのオルタナティヴとは対極の不毛な闘いの映像だなぁ』。
@「ビートルズは、今までに無いそのものを示して実にいいオルタナティヴを生きている」、と茂木博士。「アンチは常に、何も生み出さない。オルタナティヴを生きていない」とも言っていた…。
@そういや、ツイッターでここ数日、「支那」「「反日」たといった汚い書き込みが目立ってきたなぁ・・・。私のTLにも「支那は国交断絶を!」という書き込みがあったにする。
@そんなことを、何もしないくせにつぶやいったって、結局は不毛。やはり「アンチ」は何も生み出さない。ただ憎悪と相互不信を増幅するだけ。…家に帰ってから、そう思わざるを得なかった。
@その他、よく言われる「プラシーボ効果」は、医療の世界でも注目されている、脳の部位の働きと関わる効果で、結構複雑なものだ、といった話も出てきたが、自分には、「アンチ」と「オルタナティヴ」の話が印象的だったかと思う。
@思えば、ツイッターで尖閣問題やNHKに絡んで「支那くたばれ」とか「犬HKがどーのこーの」、なんてつぶやいているのを見るたびに、胸くそがムカムカしてくる。
@茂木博士が今回の講座の中で言っていたように、彼等はただ「アンチ」を叫んでいれば『何かやったつもり』になっているのだろう。でもその行為は、憎悪と相互不信を膨らませるだけに終わってしまうのだ…ろくな事がない。
@結局「アンチ」は何でも停滞させてしまうものだ。寧ろ「オルタナティヴ」を生きるほうが創造的だし、何と言っても全てにおいて、停滞を齎さない。
@人間世界は畢竟、「アンチ」よりは「オルタナティヴ」。なんでも反対よりも、今までとは何か違った生き方を志向し、それを生きるほうが、なんていうか、ロックンロール的だし、何よりもあらゆる意味で人間的だ、と納得。
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