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3.11に思う~あの日から1年~ [独白]

☆未曾有、想定外、“ブラックスワン”といわれる大震災が、東北の地を嘗め尽くし、多くの人々の命を瞬時にして奪い、生き残った人々の人生を捩じ曲げてしまったあの日から1年経った。

☆家と財産、愛する家族や友人、親類を奪われた悲しみを抱えながら、必死に生きている人々のことを思うと、何としても東北の地を、復興へと向かわせなくてはならないと思わざるを得ない。

☆其の為に、私自身、今何ができるのか・・・ということを、今一度真剣な気持ちになって、考え、実行してみたいと思う。・・・仮令其れがささやかな“街頭募金”程度の、微々たるものに過ぎなくとも。

☆ボランティアの人数も減り、被災したホトンドの地域で瓦礫は未だ片付いていない。・・・こういうときこそ、国がリードを取って復興の手助けをするべきなのに、「政局政局」とばかりに自分たちのことばかりに気をとられ、結局復興庁の設立が去年12月になってからだというから、国というのは本当に被災者のみならず、我々全員にとっては、何の役にも立たぬばかりか、却って復興の邪魔をしているのではないか、と勘繰りたくなる今日この頃である。

☆もはや国など余りアテには成らない。さりとて個人の努力範囲をはるかに超えた震災の傷跡ゆえに、当てにしないといっても、簡単にはいかない。海外の人々の助けが本当に要る。

☆国がダメなら、国連で被災地の実態を訴え、復興の手助けをして欲しいと、日本は本気で訴えるしかない。その上で、これまでの日本を衰滅へと向かわせつつあった諸々のシステム(たとえば、学生の『企業奴隷』化を促す新卒一括採用制度など)を捨て、21世紀に存在するに相応しい、個々人の多様な個性を尊重し、生命の尊厳を第一とする社会をもつ世界に生まれ変わるべく、不断の努力をすることを、我々日本人は忘れてはならないだろう。

☆孤独死の事例が相次いでいる。さいたまで一家3人が誰にも看取られないまま餓死していたり、つい先日には東京で母子2人がこれもまた病死したまま放置されてたり、元キャスターで雑貨店店主の山口美江さんが、自宅で1人で亡くなっていたのを親族に発見されるという痛ましい事例も起こっている。

☆有名人すら放置され、一人で死んでいく時代。被災地における孤独死も大問題になっている。人と人とを繋ぐコミュニケーション、絆の存在がもはやホトンドなくなっているということが、これらの事例を見ても、火を見るよりも瞭然だ。

☆高度成長時代、お金とものがあることが、幸せの「鉄板」条件だと思われていた時代、核家族化は進行し、ついには、人と人とのつながりが消えてしまい、自分たちばかりで繋がって、他者と繋がろうとしない家族が増えた。

☆やがてその家族が年を取り、他人の助けが本当に必要になったときになり、親の介護は自分だけでやる、という人が増え、しかしそういう人たちに限って、追い詰められ、最悪の場合死んでいく。金とものに幸福の基準を置く価値観が結局はこういう孤立死、孤独死の問題を引き起こしているといえまいか。

☆こういう問題を引き起こさない為にも、他者と自分たちとの絆…コミュニケーションの輪を再構築することが、今こそ大切なことはない。

☆被災地の瓦礫の問題も、7割の人々が受け入れ処理賛成というものの、2割は「放射能が心配だから」という理由で「NO」といったりしている。こういうことをみて思うに、「絆」という言葉が有名無実化しているととらえてしまうのは、私だけなのか。

☆私のような者がこう言うのもなんだが、我々は今こそ、「絆」の言葉をこれ以上、有名無実化しない為にも、被災地の瓦礫の受け入れを始め、孤独死を無くす為の活動とか、健常者と障碍者との心のつながりなど、人と人とのつながりを再構築する為の、息の長い努力をしなくてはなるまいと思う。その際に、自分自身の内面からの、自己変革のための哲理、そして共生の為の哲理を、この何時大地震が起こってもおかしくない国土世間に根付かせていかなくてはならないと思う。
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