SSブログ

瑠璃色の虫 [ドラマ・ミニアチュール]

○今から90年近く前、若き探検家の一行が、とある南の国の、手付かずの森に出かけて行ったそうな。

○そこで出遭った、色とりどりの宝石のような蝶や、形の面白く、香りのよい蘭、けったいな姿と派手な色彩の鳥や、巨大で凶暴な鰐、大蛇、毒蛇、肉食の蟻や、ヘンテコな形と不思議な色彩の蝉やバッタなどなどは、彼等の中の、子供のような好奇心を満足させるのに、十分過ぎるほどだった。


○森に滞在して10日ほど経ったある日、森の入口近くにしつらえられた、くすんだ緑テントの中で探検家たちは、夕食をとっていた。この探検隊は、当時世界でも指折りといわれる、新進気鋭の生態学者、博物学者、植物学者、昆虫学者の4名からなる探検隊であった。彼等は底知れぬ謎に満ちたこの森林地帯の生態をくまなく調査するため、英国王立科学アカデミーの要請をうけ隊を結成し、この南国の密林までやってきたのだった。太陽の光もなかなか射しこみにくい、昼間でも月夜の如く薄暗い森では、今が夕方なのか如何なのかわからないので、みんな手に嵌めた腕時計で、今の時間が夕刻かどうかを見極めなくてはならない。

○現地の人達によると、この先には11mは軽く超すという、前代未聞の長さの巨大アナコンダが住む泥の河があるということで、危険を恐れる心よりも、旺盛な好奇心が優る探検家たちは、夜が明けたらそこを目指すつもりでいた。

○翌朝、探検隊はワクワクしながら、アナコンダの住むという泥の河へと向かっていった。…彼等の心は、大蛇に対する恐怖と、好奇心が3:7の割合でせめぎあっていた。今ココで歩みを止めたら、永久にアナコンダには遭えないのだから。

○彼等がもう基地から300㎞離れたと思える地点で、先頭にいた隊長の、昆虫学者の眼が大きく見開かれた。
 「あれはなんだ!」
 「えっ?」

○それは、シデムシの夥しい群集だった。ここのシデムシは、他の大陸のものと違い、鮮やかな瑠璃色の金属光沢を放っていた。


○あたり一面には肉が腐ったような、血腥いような匂いと、湿った土の匂いが混ぜこぜの、何とも言えない異臭が漂っていた。隊員一同全員鼻を押さえ、このたまらない悪臭を堪えていた。しかし、その悪臭のするあたりに群がる瑠璃色のシデムシのいるあたりは、時折射しこむ太陽の光を浴びると、そこらが別世界のように美しく輝いた。

○隊長の昆虫学者が、その無限に沸き上がる悪臭を堪え、群集の中から一匹を摘んで、ポケットからルーペをおもむろに取り出し、詳細にその個体を調べ始めた。このシデムシは大アゴが、他のに比べて非常に大きくて鋭い。まるで雄クワガタムシの小型版のようだ。

○次に昆虫学者は、シデムシを森林の樹冠からわずかに射しこむ日の光にさらし、角度を変えて観察した。背中の瑠璃色光沢は、光の加減によって、エメラルド光沢にも、マゼンタ光沢にも変わるようである。

○この、3色の偏光を放つ羽根を持つシデムシを眺め眺め、昆虫学者の口から溜息がもれた、「美しいなァ…」。

○さっそく彼は、シデムシの群れの下には何が隠されているのか調べ始めた。一匹一匹、丹念に時間をかけてシデムシを取り除いていくが、怒ったシデムシが彼に噛みつき、抵抗するのと、取り除いていくにつれ、件の悪臭が益々血腥さを増していくのには、さすがに(ムシについては薀蓄を饒舌に語れるほど)雄弁達者な彼も閉口した。

○シデムシはなかなかいなくなってくれないが、ようやく、虫たちの下にいたものの、姿がだんだん見えてきた。その時だった。隊長の手が止まり、ガタガタ震え出した。
 
 「どうした?」 博物学者と植物学者、生態学者は気がかりになって、訊いてきた。振り向いた昆虫学者の眼は、見るからにうつろになっていた。

 「あ、あれをみろ…!」 
 
 彼は全身をガタガタ震わせながら、シデムシの群れのあたりを指差した。

○昆虫学者が指差したほうを見た3人の表情が、いきなり引き攣った。 う、う、うわぁぁぁー!と叫ぶや否や、探検隊のおのおのの心の中で、恐怖が初めて好奇心の割合を上回った。


○3人が見たものは、紛れもなく、腐乱し果てた人間の遺骸であった。腐乱はしていても、遺骸はきちんと着衣していた。所持品からみて、彼等より以前にこの森に調査に来た、他国人のものとわかった。所持品にはどれも英語と日本語の表記があった。その中に旅券があり、開いて見ると、英語の筆記体で
 
 Tatunosin MORIMOTO と、あった。 彼は、東京帝大を優秀な成績で卒業し、理化学研究所に籍をおいて、研究にいそしむ生物学者だった。

○署名の上には律儀そうな、賢そうな、凛々しい東洋人紳士の顔写真があった。頭髪はゆるくウェーヴがかかり、品性のよさを感じさせもする。

○4人は遺骸を急いで収拾し、現地の行政府へ無線電話で知らせた。「そちらに、大日本帝国の総領事館は、置かれてあるかね」「ハイ、置かれています」「よろしい、実は私たちはジャングルの探検中に、日本人探検家の遺体を発見した。それでもしそこに日本の領事館があれば、至急連絡しようと思い、電話をかけたのだ…」

○それから数時間後、日本人探検家で生物学者の森本辰之進の遺骸は、日本領事館の奥まった一角に運び込まれていた。霊安室には白い布をかけられた棺が置かれ、そこに森本の遺骸が入れられていた。法医学者による丹念な検死の結果、この生物学者はジャングルの生物の調査中、狩りに来ていた先住民による弓矢の襲撃を頭に受け、亡くなったことが分かった。頭蓋骨にあった傷跡から、先住民が鏃に塗る矢毒蛙の皮膚にある毒素が発見されたからである。

○森本を納めた棺の上には白いイースターリリーの花束が捧げられていた。森本の所持品の中に、聖書と十字架があったからである。彼は熱心なクリスチャンだったようである。

○アナコンダ探検の旺盛なる意欲は、今やどこへともなく吹っ飛び、目の前の死せる異邦人を前にして、探検家たちは、こうべを深く垂れ、心の中で彼の冥福を祈るのであった。

○あと数ヶ月もすれば、彼の遺族は遺体を引き取りに船でこの地へやってくるだろう。ここは南米の某国、アマゾン河の河口近くのとある町である。それにしても腐敗臭を防ぐ目的で、棺の底にドライアイスをいれ、ペパーミントの精油まで振ったのに、時間が経つと森本を入れた棺からは、ミントの芳香と人肉の腐り果てた匂いが交じり合い、これまたえも言われ得ぬ強烈な異臭を放っていた。

○やがて、堪え難い異臭を放つ棺は、領事館の裏にある火葬場へと運ばれ、荼毘に付された。時間にして30分。その頃、日本領事館ではただちに森本の遺族宛てに「本人発見・すでに死せり」と打電がなされた。

○霊安室には、つい先刻まで異臭を放っていた森本の遺骸が、小さな骨壷に入れられ、白い布がかけられた、立方体の白木で出来た箱の中に詰められ、白いシーツをかけられた横に細長いテーブルの前に、遺品とともに安置されていた。


○一方、4人の探検家たちは、すでにテントを張りの調査基地に戻っていて、ようやく人心地ついていたが、自分達よりも早く現地の密林へと踏みこんだのに、志し半ばで先住民の襲撃を受けて死ななくてはならなかった、ひとりの青年生物学者の、呆気なくも哀しい結末に、それぞれ、思いを馳せた。「彼もまた、我々と同じように、“ミカド”の国の威信を背負って、密林探検に出かけて行ったのだろう」生物学者が1人ごちるような調子で言った。


○4人が4人とも重い気分を引きずりつつも、しかし、彼等は母国の王立科学アカデミーに調査結果を知らせる為にも、気を取り直し探検を進めなくてはならないのだ。密林は危険に満ちて、かつ人を引きつけるほどの妖しき魅力にあふれている。森本も、密林が放つ魅惑の妖気にひかれたゆえに、先住民の毒矢にあたって死んだのだった。彼等は胸に十字架をきり、勇んで巨大なアナコンダのいる泥の河へと、歩みを進めていったのだった。

○その4人が消息を絶ったのは、彼等が、森本の遺骸を発見してから3ヶ月経った頃であった。英国から陸海軍の調査団が来て周辺の調査をはじめたが、4人のゆくえは、ようとして分からなかった。例の大蛇のすむ泥の河にみんな嵌っていったのか、それとも森本のように先住民の毒矢の犠牲になったのか、わからないまま、無情に月日が流れていった。

○きょうも、生き物たちのさんざめきが常に聞こえる、深い深いジャングルの中では、わずかに射しこむ日の光を受けて、あのアゴの大きなシデムシが、ある時は瑠璃色に、またあるときはエメラルド色に輝きを変えながら、獣の遺骸に群がっている。

(2008/08/17)
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。