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「物語」の復権。 [独白]

@ネットワークの進歩により、情報過多の状態が続いてすでに久しい年月が経つ。玉石混交、大小さまざまな情報が、それこそ、TVといわず、紙媒体といわず、ネットといわず、常に大量に飛び交い、私達は常にそれを追い掛け回し、若しくは、追い立てられ、振りまわされている。

@作家の井上ひさし氏は、今日の情報洪水時代を予見したのか、小田島雄志氏によるシェイクスピア完訳をとりあげ、かつて朝日新聞にこのような文を載せた。
(引用) 「それにしても坪内逍遥の完訳が文学的大事件だったのに、また福田恒存のそれは中事件であったのに、なぜ小田島完訳が世間からは小事件の扱いしか受けないのだろうか。(中略)文学は、人々によってしりぞれられつつあるのかも知れない。もっといえば人々の欲しているのは情報であって物語ではないようだ…」(「」内引用は佐野山寛太著『透明大怪獣時代の広告』(広松書店刊、1983年)からによる)

@人々が情報への欲望を募らせたがゆえに、「情報」は必要以上に溢れかえり、今や「物語」を駆逐せんとしているようにも思える。しかし、今や、人々の心は、情報でなく、物語を再び、求め始めている。

@書店に溢れるケータイが媒体の(それらは、極めて安上がりでしかないのだが…)恋物語。それを手にとって読む女学生たち。小林多喜二「蟹工船」の、80年振りの復活。これらは一見、未曽有の不安の時代に開いたあだ花ブームのように思えるが、よくよく考えてみれば、これはある意味、「物語」の復権の兆しなのではないか、と思える。

@そうした事実を見るに、ここへ来て、溢れかえる情報に、ようやく人々は倦み始めて来たのではないか、と思う。

@今の時代、何が起こるか分からない、ちょっと何かあると不安になりやすい時代だ。ことに今は、未曽有の世界的恐慌もあり、人々の気持ちは、益々暗いベクトルへと引き摺りこまれやすくなっている。

@こういう時代こそ、いよいよ物語の復権が、大きなテーマとなる。それもケータイ小説のようなものや、「蟹工船」のような暗澹たるものではなく、それに出会う人々が、胸に限り無い希望の灯火を灯せるような「前向きな物語」の復権である。


@ここにひとつのジュヴナイルがある。茂木健一郎の手になる「トゥープゥートゥーのすむエリー星」(毎日新聞社刊・2008)である。未来の地球に生きる少年少女が、地球外惑星に赴き、そこで摩訶不思議な生き物と出会う冒険ロマンであるが、読むと限り無い前向きなベクトルが感じられる。これを読めば、胸に限り無い希望を抱くことが出来るはずだ。

@溢れかえる情報の洪水は、人々の心に明るい希望の灯火を灯しにくい。いま飛び交っている情報は、事実とはいえ、暗く希望の兆しすらない。そんな時、「トゥープゥートゥー…」のような希望溢れる物語の,再びの登場は、悲観主義のドツボに沈む人々の心を浮揚し、眩いほどに明るい楽観主義の灯火を灯すだろう。




トゥープゥートゥーのすむエリー星

トゥープゥートゥーのすむエリー星

  • 作者: 茂木健一郎
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2008/05/29
  • メディア: 単行本





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