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効率&拝金&自己責任至上論社会の犠牲者たち~ETV特集~ [雑文]

@土曜の夜中、ボンヤリと深夜番組を見ていた。あまりにもくだらねぇ番組が多くて、リモコンを握り締め、チャンネルをパチパチ変えていた。

@ふと、ある場面で、リモコンのボタンを押す手が止まった。一見して野外生活者と思しき身なりのオジさんたちと野良猫が仲良く写っている写真が、ブラウン管に映し出された。如何やらこれは、多摩川の河川敷で暮らしている、オジさんたちと、捨てられた猫たちの物語のようだった。

@オジさんたちは、空き缶を集め、生計を立てている。金融危機の影響で、空き缶の相場が下がり続け、オジさんたちの生活も苦しくなる一方だ。そんな苦しい中で、少ない収入をなんとか工面して、猫たちにやる餌を買ったりしている。

@多摩川の河川敷には、世間で“ホームレス”と言われる、家や家族、友達といった、ココロの拠り所をなくした人々が、青いビニールで囲ったバラックに住む生活を余儀なくされている。そこに冷酷な飼い主に捨てられた猫たちが集まり、オジさんたちは、そんな猫たちを心からかわいがっている。オジさんたちには、とにかく日々を恙無く生きていれば御の字、という気持ちがある一方で、希望を失わないで生きている人達がいることも知った。

@あるオジさんは、下水管工事の仕事をもらったのはいいけれど、それも年が明けてしばらくして解雇され、またもとの空き缶集めの仕事に戻ってしまった。幾ら希望を持っても、社会から捨てられたために、その希望通りの人生が歩めない、しかし、競争至上主義の世界に生きる奴等は、そんなオジさんたちに対し、ああなったのも、“自己責任”だと平気なカオをして嘯くのだ。


@番組を見ていて、ここに生きる人や猫たちは、すべて効率絶対主義・拝金主義・事故責任至上主義社会の犠牲者たちなのだと感じざるを得なかった。

@彼等は、野外生活者になりたくてなったのではない。競争ばかりを繰り返し、人間の情のなくなった社会で、余剰人員として、ココロの拠り所を奪われ、捨てられていった人達なのだ。また、野良猫達も人間の身勝手で表面的な感情の犠牲者だ。かわいいからといって、飼い主にかわいがるだけかわいがられ、飽きて捨てられた子達なのだ。

@この子らとオジさんたちが、肩と心を寄せ合って、明日とも知れぬ日々を、つま先に火を灯すように、生きている。

@そういう人達に対し、勝ち組を自称する(あくまで一部だが)連中は、自己責任論を吹っかけ、せせら笑っている。


@ある人が、自己責任という言葉は、自然に対して使うものであり、人間の絆に対して使う言葉ではないということを言っている。

@『自己責任』の名の下に、人間同士の絆を切り刻み、断ち切る社会は、遅かれ早かれ、亡国の水際にたどり着くだろう。その時になって、嘆いても最早、手遅れである。

@これから世はもっと厳しくなる。失業者も増え、自殺者も倍増する。そして、ホームレスと呼ばれる、人間同士の絆を断たれてしまった人々も、また増えていくことだろう。

@そのような状態が深刻になるにつれ、この島国社会の滅亡は、いよいよ早まっていくにちがいない。
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