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時の流れに残るもの、消え行くもの。 [雑文]

@月日、年月は大河の流れのように、我々の周りを流れていく。流れに随いてか、若葉のように瑞々しい肉体も長い間に老いさらばえて、枯葉枯木のようになり行く。

@老化への時の流れに逆らうように、女性は顔の皮膚や筋肉を吊り上げようとする。それで保っている人もいるが、しかし、それでもさらに年をとれば、万有引力には逆らいきれず、頬は垂れ下がり、フェイスラインは崩れていく。

@頬がたれ、ラインが崩れるのは、自然の成り行きで、いくら逆らって上に上げても、そのうち下がってくるものなのだ。

@かくて肉体は崩れ、感覚は鈍り、しまいには意識も感覚も消え、呼吸が止まり、無へと向かう。



@社会も時と共に移り変わり、凄まじい変化を遂げて、今日まできた。その中で、軽薄なもの、その場限りの流行だけで愛されるもの、次世代に通用しなくなったものは、容赦なく時の大河に流され、消えていく。

@反対に、軽薄さがないもの、強靭なもの、筋の通ったもの、いたく愛されるもの、確たる何かを持つものは、時の大河が幾ら荒れようと、流されずにしっかりと残るものだ。

@サブカルチャーのひとつ『美少女産業』が、これからも残っていくかどうか、あやしいものだと考える。一方、興福寺の阿修羅像は、奈良時代に作られて、風雨を越え、見事に残っている。


@美少女産業が阿修羅像のように、後世まで伝えられていくとは、如何しても思えない。大量消費産業文化の一環でしかないように思える。

@時の流れの中に、消え行くものは、濱の真砂のように多いだろう。流れに耐えてシッカリ残るものは、少ない。しかし、私はその中に、我々が学ぶべき普遍性があるように思う。

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