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毒滅のビスマルク。 [企業史・広告史]

@ある時、明治期に発行された新聞を見ると、いかつい、威厳あるハゲのオヤジの横っ面に筆書き太字でドーン、と


   「毒滅」

 とある。


@これを見てう~ん、何てオーバーな、大時代な商標なんだ!と思った。これが「毒滅」商標との初めての出会いである。『毒滅』とは書いて字の如く『毒を滅ぼす』、つまり梅毒や淋疾といった性病を粉砕する為のクスリという意味をこめている。それにしても、迫力がありすぎる…。

@1900(明治33)年当時、『金鵄麝香』、『美白丸』などを発売していた森下南洋堂。『毒滅』は、当時「花柳病」といわれていた、梅毒・淋疾の特効薬として、ここから発売された。

@『毒滅』発売開始当時の新聞(明治33年発行)の幾つかの新聞を見ると、そのころ有名だった医学界の泰斗たちの名前を掲げ、このクスリはこれらの人々によって処方、推薦を受けましたなんていうメッセージを発している。ど真ん中に威圧的な例の商標。


@この商標のモデルは、何とプロイセン(独逸)の鉄血宰相・ビスマルクである。当時のことだから本人に無断で彼の肖像を使って商標を拵えている。今だったら肖像権違反で何かと物議を醸すかもしれない。それはさて擱き、この『毒滅』、ビスマルク効果も手伝ってか、森下南洋堂創業以来初の大ヒットを飛ばし、同社を一流製薬業に押し上げるきっかけを作った。

@1910年に画期的な駆黴薬(梅毒淋疾を治療する為のクスリのこと)『サルバルサン』が発見される10年も前のことである。

@『毒滅』に、はたしてサルバルサンと同等の効能があったかどうかは大いに疑問だが、とにかく梅毒淋疾に苦しみ喘ぐ人々にとっては、最後の希望の光であったに違いない。


@それにしてもこの…いかつ過ぎるビスマルクの商標!如何にも梅毒淋疾にテキメン効いてしまいそうだ。ある意味、精神的な効能はあったかもしれない。当時は日露戦争に勝利したこともあり、強い軍人や政治家に大変人気があった時代だった。『毒滅』のビスマルクは、そんな時代を象徴するアイコンでもあった。

@この毒滅発売から僅か8年後…森下南洋堂にとってシンボルとなるべき大衆売薬が登場する、そう、あの『仁丹』なのだ。カイゼル髭に礼服、ナポレオンハットに『仁丹』と書かれた額を掲げた威厳ある人物は、時々、『仁丹将軍』の名で呼ばれたりもする。

@しかし、森下仁丹創業者の森下博氏に言わすと、これは「将軍」ではなくて「クスリの外交官」だということだ。あのナポレオンハットに金モールの礼服は当時の外交官など、高級官職が見につけていた礼服のスタイルだという。この商標も『クラブ洗粉』の項でも取り上げたように、時代の変化に合わせて微妙に変化しながら、明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜いて、今に残っている。と共に『仁丹』それ自体も、時代を超越したミリオンセラーとなった。

@いっぽう、『毒滅』のビスマルクは、1910年代、日本での本格的なサルバルサン系駆黴薬登場(「アーセミン」、「タンワルサン」などの発売開始)と前後して、『毒滅』それ自体と運命を同じうし、次第に大衆の前から消えていった。

@森下南洋堂は、それ以後、「森下博薬房」を経て、現在の「森下仁丹」に改名し、今日でもオーラルケア製品として『仁丹』を発売するほか、ビフィズス菌顆粒『ビフィーナ』シリーズや『青汁』など健康食品の開発・販売に力をいれている。

@そういえば、渋谷の宮益坂に、例の仁丹マークのおじさんがついたビルがあったらしいが、何時の間にか取り壊され、建て替えられていた。何だかなぁ~。
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