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Twitterではしない“つぶやき”集・その③ [雑文]

☆前々回、前回に続き、駄目押し(?)でまたTwitterに私が載せない“つぶやき”をここに載せてみる(←えーかげんにせぇ、ってか?)。


○ある研究機関による実験論文によると、いじめっ子の脳内のある部位は、相手をいじめるときにドーパミンかなんかの脳内物質が分泌され、それが脳内報酬となり、快楽や喜びを感じるのだと言う。道理でいじめが根絶できないわけだ。これを私は、ナショナルジオグラフィック日本語電子版で見た。

○事業仕分けの第2段は、文部科学省関連の事業に仕分け対象の多くが集中している。これはやりかた、結果次第では日本の健全なる科学力の発展を妨げかねない。

○甚平鮫やオサガメ、ジュゴンなど、絶滅の危機に瀕している海の生物たちを、いまから救わないと、私たちはたいせつな地球の宝物をまたそこなうこととなろう。


○シーシェパードや映画「THE COVE」の製作者たちは、調査捕鯨関係者や太地町のイルカ漁の漁師らと、ひざ詰で対等な立場で話し合うべき。物理的な妨害行為や隠し撮りは相手を意固地にするだけだ。

○本当の教養がある人は、知識をひけらかす人間ではなく、人間の心がわかり、立場の弱い相手への思いやりを持っている。

○民主党を構成している議員たちは、政権をとる前は、マニフェストを守ると言ったが、いざ政権をとると口をぬぐって、それを破り始めた。彼等にとって『約束』とは、破る為にあるものなのだろう。

○日常的に、ネットで他者を中傷する人間の脳は如何なのだろう。ふつうのいじめっ子のように、相手を中傷すると脳内のドーパミンが多量に分泌され、相手の過剰な反応に過大な快感を覚えるのだろうかね。それで言葉で相手をいびることにいっそうの喜びを感じるようになり、ネット中傷がやめられなくなるのか知らん?


○ペットのわんこやにゃんこ。もはや家族そのもの。その子達が死んだ時、昔は裏庭にそのまま埋めたものだが、今は専用の葬儀屋が存在し、大金を出して頼めばきちんと法要の上、火葬されるという。しかし、この間あった犬猫の死骸を裏山に捨てたインチキ業者の事件は、ペットと言うものが家族同然とはいえ、あまりにも大事にされすぎている事情を浮き彫りにした。件の葬儀屋は、そうした家族のペットにかける過剰な心情を逆撫でしたのであった。

○人間が死ねば丁重に遺体として扱われるのだが、ペットが死ねば廃棄物扱い。同じ生命をもつ生き物なのに、この“差”はいったい・・・。

○上野動物園やその他の動物園で死んだ動物たちの白骨やホルマリン漬け標本と化した遺骸を、東京大学構内の博物館で見たことがある。死産のアジア象の遺骸やジラフの赤ちゃんの遺骸は、見ているものの胸に迫るものがある。

○新しい生命として、地上に出でて『祝福』を受けるはずが、母体の中であわれ亡くなっていった子供たち。私も下手をすると、胎内で十月十日しか生きられず、死産児として生まれてくる羽目になっていたかも。

○きのう上野公園を歩いていて、銀杏の大きな大木を見たら、枝先にはすでに瑞々しい新緑の芽吹きが。嗚呼春たけなわ。季節は桜の時を過ぎ、若葉茂れるときへとうつろう。


○面白くなき世を面白く・・・なすもなさぬも、全ては人の心次第。世が閉塞しているなら、それを破るしかない、魂に秘められた強力な希望という名のエンジンの、激しき噴射力によって。

○暗闇に安住しきっている夜行生物は明るくまばゆい陽光を嫌う。光なき暗黒こそ、彼等にとっては無上のパラダイスだ。自分だけの世界に閉じこもっている引きこもりの青年たちは、そんな暗黒を好む生物たちのようだ。

○青年たちよ、生きる意欲を無くすな。根無し草になるな。俺もそうならないように頑張る。互いに陽光の下に出でて、閉塞と絶望によって呪われたこの社会を変革するべく、戦い抜こうではないか。

○おっと!しばし待て。社会を変革するなら、まず己の清新の内面の奥まったところにたまっている、暗愚と無明のヘドロを綺麗に洗い流してからにしよう。

○別れと出会いは所詮一衣帯水、薄紙の表裏・・・か。出会いがあればそれは別れの始まり、と人のよくいう。でも、人生、そのかわり何か出会いがあるたびに、新たな発見もあると言うものだ。

○人間、死ねば二度とはあのままのすがたで、この世には帰らぬ。帰ってくるときは、地上にまっさらな新しい生命として現われるときだ。そのとき前世の記憶は無意識の奥深くにしっかり封印されてしまっているだろう、思い出すことがないように。

○放送の歴史はラジオから始まった。TVもインターネットもない頃、ラジオを通じて情報や文化が届けられた時代が確かにあった。若し世にTVもネットも普及せず、未だにラジオだけしかなかったら、人はイマジネーションをたくましくし、クリエイティヴィティの力を強めていったに違いなかろう。

○そのラジオがいま、インターネットを手を組んで、「rajiko」なるウェブ放送を始めた。理想的な形で先進のメディアと手を組むのは、TVよりもラジオのほうが一枚上手だったようだ。

○Twitterによらないつぶやきも、きょうはここまで。
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