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若葉萌ゆる時に黄泉路へと旅立つ人あり。 [独白]

★快晴の日曜日。コートが要らぬくらいに、お天道様の光があったかく、まぶしい。


★お昼を食べているときに、グッと突き上げるような揺れが!関東地方を襲った直下型の小さな地震。やはり、“あの”所為でこのへんの地盤がユルユルになっているのかしらん。


★金曜日から土曜夜半に、著名人2人の死が相次いだ。1人は女優の田中好子さん。いまひとりはSONY元社長・大賀典雄さん。


★田中さんはキャンディーズ解散後、「普通の女の子」に戻らず、演技派女優に見事脱皮。映画「黒い雨」をはじめ、数々の映画やドラマ、CMに出演。しかし平成4年、既に乳癌を患いし事は、今回の訃報を聞くまで知らず。

★大賀典雄さんは、1959年、オペラ界で活躍するバリトン歌手から、設立10年めのSONYに招かれ、最初から幹部待遇で入社され、のち、経営者に転身した。ロゴのデザインから音楽会社設立、さらに米国映画会社の買収など、同社における大きな仕事に携わってこられた。音楽家としても優れた人物であり、オーケストラの指揮もされている。かのカラヤンと深い親交があったことはつとに知られた事なり。(茂木健一郎氏著述のカラヤンについて書かれたほんの中に、大賀さんとの対談があり、そこにカラヤンについての記述がある)

★田中さんの場合、落ち着いていた乳癌が肉体のあちこちに転移していたようで、今年に入ってから、ガン細胞の増殖が体内で止まらなくなり(ラッシュ状態)、今月3月21日、この世から旅立っていった。

★「スーちゃん」の死を惜しむ声、巷間に高し。銀座は4丁目の山野楽器、キャンディーズ再版CDの売らるるを、TVにて目撃せり。予約殺到ゆえに売り切れるも、限定数ぶん、在庫入りしとのこと。

★ファンの人いわく「スーちゃんはそこにいるだけで、和む人だった。女優さんとして、もっともっと活躍してほしかったのに…」。

★大賀さんの訃報は昨夜、ツイッターをやっている最中に知った。茂木さんが哀悼の意を表すつぶやきを載せたからだ。上述のように、茂木さんは自著で大賀さんとの対談を載せている。


★大賀さんは2001年ごろ、中国でオーケストラの指揮中に蜘蛛膜下出血で倒れ、現地の病院で治療を受け、一命を取り留めた。その後2002年に職務復帰したが、ホトンド後遺症がないというのに驚いた記憶がある。恐らくは凄まじい精神力でリハビリを徹底的にやりぬいた為に、後遺症状態に陥ることもなかったのでは、と思う。

★その前にも、外国で仕事の最中、心臓疾患でぶっ倒れた、というエピソードがある。詳細については1999年ごろ出された大賀さんの評伝を読んで知った。このときも氏は心臓のバイパス手術をうけ、命を助かったとのことだ。

★けれど今回は、流石の彼もよみがえることはなかったようで、スーちゃんと同じように、黄泉路へとそのまま“スーッと”と言う感じで旅立っていかれたのに相違ない。

★そういや大賀さんはあの当時はもう既にSONYの社長だったよなぁ。キャンディーズもSMEの所属だったし…両者とも何故かSONY系つながりだったというのが、偶然的一致と言うか何というか…。


★木々の新緑が萌え、季節は晩春から初夏へと徐々にうつろう。仮令春の薫風と言えども、寿命尽きて死に行く人をこの世にとどめ置くこと、不可能なり。…この世を去るも留まるも、その人それぞれの運次第。
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