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TVのこれから~ハードは進んだがコンテンツはどうよ?(後編) [雑学小論文]

前回の記事の続編です。

★③TV黎明期~成熟期の傑作ドラマたち★

 ドラマの世界でも、NHKが朝のテレビ小説や大河ドラマ等で数々の名作・傑作を次々と世に問うその一方で、民放TVでも、TBS(東京放送)からは初期のジュニア向けアクション特撮「月光仮面」や芸術祭でグランプリを獲得した、かの東京裁判におけるB,C級戦犯の悲劇を描いた「私は貝になりたい」、TBS初期の探偵ドラマ「日真名氏飛び出す」、“刑事”という職業をカッコイイものにした最初のドラマ「七人の刑事」、正義感に篤い脳外科の青年医師が活躍する海外発医療人間ドラマ「ベン・ケーシー」、そして!平均視聴率50%超を記録した“オバケドラマ”「ありがとう」、マチャアキこと堺正章の「おかみさ~ん!時間ですよ~!!」というフレーズと女風呂シーンが話題の「時間ですよ」、その他「お荷物小荷物」、「柔道一直線」、「アテンションプリーズ」、「おくさまは18歳」、「サインはV!」、「岸辺のアルバム」、「寺内貫太郎一家」、「ムー」及び「ムー一族」、「ケンちゃんシリーズ」など話題作や名作が1950年代後半~’80年代前半にかけ次々と放映され、「ドラマのTBS」の名声を確立していった。

 TV朝日(当時はNET=日本教育テレビ)からは「氷点」(余談だがこの「氷点」というタイトルをもじったのが、いま日テレで毎週日曜夕方5時半から放映中の、あの「笑点」だといわれている)、’60年代に大人気だったウェスタンドラマ「ララミー牧場」、「だいこんの花」、’70年代後半(1977年)に放映されたピンクレディー主演の「気になる季節」、あの石原プロ総出演のハードアクション「西部警察」などが放映され、人気を呼んでいた。

 日テレからは、「ミステリーゾーン」(トワイライトゾーン)、「バークにまかせろ」、「細腕繁盛記」(新珠三千代主演)、「前略おふくろ様」「傷だらけの天使」(萩原健一主演)、「パパと呼ばないで」(石立鉄男・杉田かおる主演)、「水もれ甲介」、「雑居時代」、そして忘れてならぬ刑事ドラマの歴史的傑作「太陽にほえろ!」(松田優作扮するジーパン刑事の殉職シーン”なんじゃこりゃー!”は後世に長く語り継がれる傑作シーンだ)、などなど、それこそTBSに負けず劣らず、品質の高い傑作がこれまた次々と放映された。

フジでは、「お嫁さん」、「せっかちネエヤ」、「スパイ大作戦」(ミッション・インポシブル)、「銭形平次」、「ニューヨーク恋物語」などが、民放キー局としてはいちばんしんがりに開局したTV東京(当時=東京12チャンネル)からは「プレイガール」、「ハレンチ学園」、「愛と誠」、正月必ず放映される恒例の「12時間時代劇」など、他局ではなかなかやれないユニークなコンセプトのドラマが製作され、人気を得た。

 その他「おれの番だ!」「でっかい青春」「飛び出せ!青春」「池中玄太80キロ」(日テレ系)、「3年B組金八先生」「うちの子にかぎって」「男女7人」シリーズ(TBS系)、「鬼平犯科帳」(松本白鴎主演のもの・TV朝日系)、「破れ傘刀舟・悪人斬り」(同)、「子連れ狼」(日テレ系)…などなど、国産・輸入問わず、それこそ数え切れないほどの(放映が短期で終わってしまったものも含めて)TVコンテンツ史に残る傑作・名作が作られては放映され、巷で格好の話題のタネになったのである。

1950年代後半~’80年代前半に作られたこれらのドラマにも、やはり製作者側の「他には出せない、いいものをつくろう!」という思いと、あの手この手のさまざまな、凝った、若しくは笑える演出、そしてテクノロジーを支える技術陣の、如何に美しく、リアルに、たのしく感動的に見せるか、に書けた強い思いが込められているからこそ、今見ても観賞に堪え、後世に残り、心に響くものが多いのだ。

★④バブル期に始まり今に至るヴァラエティとドラマの荒廃★

 翻って今はどうか?……最近は私自身、ヴァラエティはおろか、ドラマはホトンド観なくなった。観るのはもっぱら「世界遺産」(TBS系・毎週日曜11時30分より放映)のようなドキュメンタリーものばかりなので、最近のドラマやヴァラエティについては、これといったハッキリした評価は下せない。

 1980年代後半~1990年代前半、つまりバブル経済全盛からその崩壊直後にかけて作られた男女の恋の行方をお洒落にテーマ化した、いわゆる「トレンディドラマ」なるドラマがどこの局にチャンネルを合わせても放映されるようになった。TBS系で放映された「金妻」(「金曜日の妻たちへ」)Bなどは、その典型である。

 まあ単純というか、おきまりというか…とにもかくにも「恋愛」というワンパターンなテーマに終始したその手のドラマは、少なくとも私のようなTVコンテンツに社会性と上質のユーモア、そしてエスプリと知的刺激を求める視聴者(こういう視聴者は比較的少数派だが)の支持を失ってしまった。

 そして、ヴァラエティーも素人バンドが腕前を競う深夜枠の“バンドののど自慢”「平成名物TV・いかすバンド天国」以来、いつしか精緻な作りこみのコメディーから、素人バンド演奏とか素人演芸(ものまねなど)が主流になってしまい、内容も知的レベルも’60年代につくられたそれらからは格段に低下した。

 今やTVディスプレイのスイッチをポンすると、それこそもう素人に芸人の産毛がちょろちょろと生えたレベル、というか、とにもかくにも限りなくど素人に近い芸的レベルの芸人(もちろん中には本格的にプロフェッショナルと呼ぶべき「本物」もいることはいるが)が、これまた素人レベルのアイドルたちとの幼稚なふざけ合いに終始している。

 “ぱっと観”で、それはそれでそこそこ面白いのだが、しかし、如何せんあの’80年代(それも前半)までに垣間見られた、作り手側の「他にないイイものを作ろう!」「如何に美しく楽しく感動的に見せるか」などといった“強烈な思い”が、今のドラマやヴァラエティの大部分からは、あまり感じられなくなったような気がする。

 そして21世紀に突入しても、ヴァラエティやドラマの内容もしくは質の低劣化は、今に至るまでとどまるところを知らない。

 つい最近、ある民放キー局が製作した「科学」を「ネタ」にしたヴァラエティ番組で“やらせ”が発覚し、放送が打ち切りになった事件があったが、これは、本来真面目かつ慎重に扱われるべき「科学」というテーマをTV局や製作会社が視聴率稼ぎの為なのだろうか、単なる好い加減なヴァラエティの「ネタ」としてしか扱わなかったことによって起こってしまった事件といえないだろうか。

 そこには、TV局・製作者サイドが、科学という「素材」に対して謙虚で真面目な姿勢で取り組まず、むしろ逆に視聴率稼ぎのネタとして、これと向き合ってしまったが故に、収録スタジオに現われた白衣の科学者を、科学に対して素人そのもののタレントが散々いじくりまわして、放送用TVカメラのまん前で、完全な「笑い者」に仕立て上げられてしまっている、といった実態があった。

 これでは、青少年の「理系離れ」に歯止めがかかるどころか、寧ろ余計に拍車をかけることになりかねない。

 こんな好い加減な「科学ヴァラエティ」が作られるそもそもの背景にはTV局・製作会社・出演者サイドの科学全般にわたる「無知」が潜んでいるようだ。

 TVを毎日視聴している私達の大部分は、科学については疎いのが実情だ。視聴者がそんな状態だからこそ、科学を扱う番組を作る際には、製作する側は科学に対して先ずキチンとした知識を身につけ、科学になるものがどんなものであるかを認識するべきなのに、生半可な知識しか身につけていない上に、フツーのヴァラエティ番組をつくるのと同じ感覚で「面白ければ何をやってもすべてよし」と、科学の知識のほとんどないタレントを起用して、白衣の科学者を、それこそゲスな漫才でのツッコミよろしくやたらと突っつきまわし、いじくりまわしてカメラの前で「道化者」に仕立て上げてしまう。

 それを観ている私達は、ただただ、ゲラゲラゲラゲラ笑って終わり。

 科学者が番組の中で提示した知識なんて、その番組を観た私達の頭の中にはいくらも残っていない(よほど科学というジャンルに興味津々な人たちは別かもしれないが)。番組で得られた科学の知識などは我々の頭の中には少ししかなく、大部分は科学者を突っ込んでいたタレントのくだらないツッコミギャグだけしか覚えてなかったりして…。

 これで果たして科学の知識なんて視聴者に身につくのかしらん。ましてや、青少年の科学教育には、こういう科学というテーマに対する不真面目な姿勢で作られた番組は、果たして役立つのか。正直いって大いに疑問を呈せざるを得ない。

 科学以外の他のジャンルをネタとして扱うヴァラエティにしても、どうも製作者側、出演者側の「おふざけ」が目立つ番組が、観ていて結構ある。特に恋愛モノやお笑いモノにそれが多くて視聴していて辟易することがある。

 お笑い系に関して言わせてもらえば、落語なり漫才なり、芸人の「芸」をキチンと見せる、というより、出演者同士のフザケ合いばかりを見せて、茶の間の笑いをとろうという、本来あるべきお笑い番組のありかたからは逸脱したことをしている。近年はそういう番組が多いように思う。

 中にはある女性タレントの、過去のプライバシーを暴きたてたが為に、週刊誌の格好のネタにされ、挙句の果てに社会問題にまで発展してしまった番組もある。

 また素人(その人個人の“ノリ”によるであろうが)参加OKのヴァラエティで、司会を務めるタレントや局アナウンサー(フリーアナウンサーの場合もある)が、無闇にその素人を過剰にツッコミまくっている(ことに民放系はその傾向が強いように見える)。

 ノリのいい素人さんならば、結構自分の「隠し芸」ネタをTVカメラの前でも少々アガリながらも発表してくれるのだが、非常に恥ずかしがりやでノリの悪い人は、TVカメラに観られただけでもあがってしまうのに、司会のあまりも過剰なツッコミに気圧(けお)されてしまい、中には結局ネタらしいネタも出すことができずに、出番がすむまであがりっぱなしの人も居る、ということも多々あると思う。

 視聴率さえ上げれば、面白くありさえすれば、倫理に引っかかろうが、視聴者からクレームが来ようが、何をやってもいい、内容の検討なんて、そんなに厳しくしなくていい、という安易な姿勢ばかりが、昨今のTV製作・放送局サイドの話題を見聞きしていると、やたらと目に付いているように思えるのは私だけであろうか。

 今やTVのハード面が日進月歩の早さで進化につぐ進化を遂げつつあるのだから、TVのソフト面を担って立つすべての放送局&コンテンツ製作者側及び芸能プロダクション側が、もっと本腰を入れて、あらゆるジャンルに対し、真摯に向き合って「勉強」し、キチンと知識を教養を蓄え、視聴率云々をさしおいてでも如何に人の心に響く、人心の琴線を震わし揺さぶる、新しい世紀のTVディスプレイに映すに相応しい、良質の番組を如何にして作り、視聴者に届けてゆくかということを、常日頃からキモに銘じながら、番組製作を心がけるべきではないのか。

 たとえそれが、たかがドラマやヴァラエティであっても、だ。


 NHKの受信料不払いは今に至るまでとどまるところを知らない。国営でも民営でも、昨今の放送業界はいろいろ不祥事が目立つ時代になってしまった。また最近では、TVを観るよりインターネットでいろいろ情報を得たほうが便利で手っ取り早い時代である。したがって、嘗ての「ゴールデンタイム」なる時間帯も消えようとしている。時代の大きなうねりの中で、従来の製作手法から脱却できないまま、TVコンテンツはいったい何処へ私達を誘おうとしているのか…。1950年代から茶の間の私達にさまざまな夢を与えてきた魔法の函、もしくは魔法の鏡は、これからは何をいったい、私達に与えてくれるのだろうか。


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