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保健所のミス(?)が…。元厚生事務次官殺傷事件。 [ぼやき]

@既に拙ブログのエントリーでも述べたが、元厚生事務次官殺傷事件で逮捕・起訴された小泉毅被告。先日、彼の初公判が開かれたが、被告は起訴事実を認めた上で「私は無罪です。私が殺したのは、人間ではなく『マモノ』である」と言いはり、さらに手記には「愛犬のシロには首輪と標識がついていたのに、保健所に殺された」という内容の文章があった。


@彼が殺害理由に挙げた「30年前に愛犬が保健所に捕まり、処分された事件」について、ここで考えてみる。前もって述べておくが、私は小泉被告に対し、同感してこれを書くのではない。凶悪な事件を起こしておきながら、被害者を法廷で事もあろうにマモノ呼ばわりし、無罪を要求するという、トチ狂った態度には許し難いものを感じる。

@しかし、30年前の犬の処分の際、果たして保健所の方で落ち度がなかったかどうか?もし手記の通り、小泉の飼い犬の首輪と標識を無視していたのであったなら、保健所は些細ながらも重大事件に繋がるミスを犯してしまったことになり、かつ30年間も怨恨の対象となりつづけたことになる。


@保健所は野良犬・野良猫を捕らえ、処分場に送り、飼い主が現われない場合は、処分されるのが常だ。仮令、首輪がついていても、期日が来れば殺処分される。また飼い主が見付かっても、その飼い主に引き取りを拒否されれば、その犬の命はやはり、処分によって絶たれるのだ。

@また小泉の家族の側にも、犬の管理について手落ちがなかったかどうか。幾ら首輪・標識をつけていても、鎖やリードで繋がれていなければ、保健所が見誤って処分した可能性も考えられる。いずれにしても双方の手落ちが、彼の可愛い飼い犬の命を絶ってしまったのだから。

@それにしても、小泉というこの男、30年間も飼い犬の恨みを晴らすために、凶器などの準備をしていたのだから、その異常性は常人の感覚を遙に越えている。普通はそこまで相手を恨まない。普通の人ならば、いとしいペットを失ったことは、そのまま“思い出”という名の、心に緩やかなものとして残るからだ。

@しかし小泉は、これを思い出にすることなく、怨恨の根源として、30年間もうらみとおしてきた。そして昨年、その恨みを晴らすために残忍な犯行に及んだのだ。愛犬の為に其処までするのかよ、というツッコミ入りのクェスチョンマークが幾つも頭に浮かんでしまう。

@人間ならいざ知らず、飼っていた愛犬の敵を討つ為に…という理由で、厚生労働省関係者の命を虎視眈々と狙い続けていた小泉被告。彼のような異常なほどに、何らかの怨恨を持つ人間は、おそらくこれからも出て来ることだろう。

@問題は、その時我々自身の問題として、こういう人間にどのように対応すればよいか、ということだ。逃げるのはやさしい。だが、逃げてもこの手の問題は、解決はできないだろう。
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