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パワースポット・・・って?! [ぼやき]

@最近、パワースポットというのが流行りだそうな。明治神宮の森にあるという清水の湧く「清正井」、日光東照宮や沖縄の御嶽(うたき)と呼ばれる聖地など、いろいろなところがあるが、そういうところへ行くとパワーがもらえる、というので、訪れる人が絶えない、という。

@で、訪れる人というのは、これまた女性が多いらしい。如何もこの島国の女性というのは、こういう呪(まじな)いがかったところへ訪れるのが好きなんだな。何世紀にも亙って男側から抑圧されている所為もあるのだろう、幸せを得たいが為に、そういう『聖地』を訪れるのである。

@しかし、呪いに拠らず高邁な生命哲学によって自らの改革を目指す者の1人として、こういうところへ訪れて、幸せになるためのパワーを得ようというのは、如何も幸福を得るための“正道”からずれている気がして成らない

@勿論、私はこういうのをなくせといっているわけではない。1人の人間が幸せになるには、この地球上には幾らでもある。イエスの導きに従うのもそうだし、仏の慈悲を信ずるのもそうだ。恐山でイタコの口寄せによって、亡き人の魂に遭った気になって、ほっとしたような気分に浸るのもそう。

@これら全部を否定したら、思想の自由と多様性をつぶすことになり、人間の精神史上、ろくなことにならないだろう。戦時中、その個人が何を信じているに関わりなく、国が一律に国家神道を押し付けたのと似たような事が起こりかねない。

@けれども、私は、果たして各地のパワースポットを訪れる、というのは、本当の幸福を得ることにつながるとは如何しても思えない。こういっては申し訳ないが、占いと同じで単なる気休め程度にしかならないのではないか、と思うのだ。

@本当の幸福を得るというのは、自分が根本から変わる、ということと実は同義なのだ。自己のこれまでの見識や生き方を大きく変えたいというのなら、何も気休め程度のパワースポットめぐりをしなくてもよいのでは、と思ってしまう。

@日本人というのは、思うに如何も、呪術的なものにすがりたがる傾向が強い。しかし呪術にすがるやり方では、自己の根本的変革は幾ら頑張っても出来ないのではないか。

@そういう呪術依存を乗り越え、高邁な生命哲理を求めていかなくては、人間は本当に自らの精神を成長させ得ず、したがって真の幸福を勝ち取れない(幸福は「得る」ものではなく、「勝ち取る」ものだ)

@日本人の中から呪術依存への偏向を乗り越え、高邁な哲学を求める人々がもう少し出てくれば、閉塞感や精神的鎖国など、悪しき傾向を生み出す精神的土壌を大きく転換できるようになり、呪わしい島国根性と、長年の閉塞を打ち破れ、日本は劇的変化を遂げることが出来るだろう。
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