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余震に負けてたまるか…! [独白]

★一昨日の夜半、11時35分頃に東北~関東一帯を揺らした、最大震度6強の地震。聞けば、この間の東北関東大震災の、これまでで最大規模の余震だとかや。

★折角復興の兆しを見せ始めた被災地一帯を再び襲った、呪わしい揺れ。被災地で必死になって復興しようとしている人々の落胆や、如何許(いかばか)りか。

★未だ、仙台で一部または全域で断水が続いているというし、まだ停電状態のところもあるという。折角よみがえりかけたところにまた来るなんて!…自然と言う奴は何とまぁ、非情で気まぐれなんでしょう!

(>_<);

★でも、今更自然に怒りをぶつけても仕方がない。肝心なのは、仮令、幾ら大きな余震が襲ったとしても、それに屈して、自然の猛威への応戦を止めてしまってはいけないということなのだ。

★余震でライフラインを断たれたら、また再びつなげ、どんな余震にも断たれないほど強いものに変えてみせる。人の絆が絶たれたら、今度はもっとしっかりつなげ、何があっても切れないものにしてみせる。

★グラグラが来るなら来たで、「なにくそ!負けて堪るか!」との気概をもって、立ち上がればよいのだ。兎にも角にも、この国難を、雄々しく、そして踊りださんが如き溌剌たる生命力で、生き切ってみせる。

★困難な時代を生きるを余儀なくされたる諸兄諸姉よ、これからの時代、私たちは長いこと震災や原発事故の“後遺症”と「お付き合い」しなくてはならなくなる。ならば、何があっても「負けるものか」との思いで、月々日々を生活しようではありませんか。『負けじ魂』が、今、大事なのです。
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「成人」ってなんだ? [独白]

@今日は20歳を迎えた若者たちが、晴れやかに人生の出発をする日だ。浦安では東京ディズニーランドで、ディズニーキャラクターに囲まれながら喜びの式典とや。またある地方では親子が交互に、今日までの互いの感謝の気持ちを述べるスタイルの成人式が執り行われたそうな。

@そういや、今年も羽目を外して大暴れする新成人が出たようだなぁ。なんでも、ある地域では、武士の格好をして模造刀を振り回すのがいたそうな。・・・いやはや、ガキンチョというか何と言うか。有り余るパワーはそういうところで発散するな、といいたい。

@ところで、「成人」っていったいなんだ?生物学的には、人間は生まれて20年経つと、性機能その他が成熟の域に達し、成年という状態になるということだが…。肉体は成年に達した20歳ころから、あとは老化への坂道を転げ落ちていく。常に身体を使って刺激し、老化の進行を遅らせない限り、つるべ落としの夕日のように、あっという間に年老いてしまう。

@20歳になった、ということは、肉体的には、老人に成る為の道を初めて開く、ということなのかもしれない。


@精神的には如何か。実際、自分の周りを見ていても、20歳過ぎてもやれファッションだの、それアイドルの話だのといった、きょうびの薄ぺらな流行にそった、幼稚な言辞を弄する輩を見ること甚だしい、というしかない。

@40年前の「全共闘vs大學闘争華やかなりし頃」では、同じ世代の者たちは、もうすこし芸術について、とか、実存主義について、とか、現在の権力への闘い方について、とか、兎に角イマドキの同世代のような、「109(マルキュー)でこれこれ買って来たんだー!これはやりなんだよー!」「ねぇねぇ、韓流スターの○○○(タレントの名前)ってチョーカッコよくない?」なんて流行やスターの話ばかりをしてなかった筈だ。まぁ、グループサウンズ(GS)に熱狂していたという、今の韓流やジャニーズに夢中になってる子達と同じようなのはいたけれど。

@今の成人式を迎える世代は、40年前は、ずっと社会の事とか、自分は如何に生きるべきか、各々の信ずる、あるいは学んでいる哲学、思念、思想について、深く考えている者が多かったのではないか。ベトナムにおける北爆が大きな問題になった時代とも重なっているし、時の政府もベトナム戦争にかかわっていたこともあった。若者たちは、それを問題視していて、毎日のように抗議していた。

@もちろん、その頃から、ただ世の流行に乗っかって、ゴーゴーダンスやマリファナに手を出したり、その頃世界中で流行っていた「ヒッピー」スタイルを真似たりする連中はいた。そんな連中でも、無論当時の風潮と無関係ではなかった。

@しかし、40年経った今、この島国の若者たちは、表層的な時代の流行にしか興味を示さない者、あるいは、自分の中に設(しつら)えた「PC・ケータイ・ゲーム」尽くしの「パラダイス」(←これらは大人が作って若者に供給した、いわゆる「引きこもり文化」の重要なアイテムだ)に篭もって、他者と社会と断絶し続ける「ホムンクルス」型人間(斯く言う私も半分はこの手の「ホムンクルス」だが)の、二つのタイプが圧倒的に多くなっている。

@仮令どんな苦労でも、大いに買って出よう、知らない世界へ雄飛しよう、という志を持つもの、あるいは自分自身はこの不透明な時代に、如何なる哲理を持って生きんや、と試行錯誤を繰り返しつつ、自らの生きる道を見出そうとするものは、圧倒的に少数となった感がある。

@そして今ある風潮の問題点として、大人たちが作り上げた「いい学校」→「いい企業に勤める」→「磐石なるいい人生」という「一方通行」のレールに乗せることが前時代(昭和時代)からの悪弊として残っている事、そしてイマドキを生きる若者たちのなかで、大人たちの「洗脳」を受けた者たちが、レールに乗らんとして必死になって「就職活動」(この不景気の中、何時終わるともしれない!)に若い魂を費やしている事が揚げられる。

@その手の問題によって、若者たちがスポイルされつづけている。スポイルされた若者たちは、当然、外国など外の世界への冒険心を放棄し、ただ内へ内へ、と篭もるようになっていく。そうしていくうちに、この国土は生気を失い、やがて、荒廃しきった「魂のネクロポリス(=死の都)」になっていくのだ。

@こんな風になったのも、大人たちによって、若者たちが、精神の成長を止められたからである。既得権益を何時までも得たいと思う大人たちのわがままが、若者たちを幼稚なままにしているのだ。


@もし、大人たちが「本当の成人」を見たいと思うなら、まず、自らの意識を根本から変え、若者たちを大いに生かし、社会で思う存分活躍させる土壌を用意するべきだ。そうしないと、若者たちは何時何時までも、幼稚な団塊世代の欲望を満足する為の「使い捨て奴隷」でいるしかなくなる。

@大人世代の意識改革は、今からやらないと、間に合わないかも知れぬ。
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2010年は黄昏れていく。 [独白]

@長くもあり、短くもあった今年、2010年。自分の認識では、混迷の度合いが去年よりは確実に強まったな、というのがある。

@海外では昨年のリーマンショックの余波の中、ギリシャに続いてアイルランドの金融危機が伝えられ、お金をまわしている業界を始め、我々庶民にもその恐怖が伝播した。良くも悪くもネットを通じてグローバル化した世界は、何時金融が破綻し、津々浦々に波及するか、その時が来ることを恐れているようだ。

@世界中の個々の国々でも、貧困や不平等、格差の拡大など、本邦と似たり寄ったりの状況が伝えられている。その一方で、中国など新興超大国は、経済的の伸びにものをいわせてか、覇権主義(中華主義)の「錦の御旗」を振りかざし、日本を始め周辺アジア諸国を悩ませ始めた。

@そんな中、尖閣諸島での中国籍漁船のアタック事件のヴィデオがYouTubeにアップされたり、いわゆる”内部告発屋”、WikiLeaksによるアメリカ当局の機密文書と各国首脳を揶揄した言辞が流出した事件は、我々にとって「いかなる国家や権威的な諸々を、当てにしてはいけない」ということを教えてくれたように思う。

@今やウェブを原動力に、世界の既存の思考様式そのものが崩れ始めたのではないかと思う。国家機構や旧来のメディアはそれでもしつこく残っていくかもしれないが、ウェブに常時繋がるようになり、それによって世界の実相を、曲がりなりにも知ることになった我々の意識というのは、もう後戻りできなくなった。

@思考様式の崩壊は、今になってここ日本にも、その萌芽がみられ始めたのかもしれない。

@そうであるなら、例えば茂木健一郎が「日本人は自分たちの古いマインドセットから自由になって、contiengency(偶有性=確実さとランダムさがないまぜになっているという、人間やこの世に付帯する性質のこと)の大海の中へ飛び込め、白紙の未来のまっただ中へ突っ込んでいけ!と言っているように、我々はこれまで自分たちを雁字搦めにしてきた悪しき「差別的慣習」などの思考様式の鉄鎖を断ち切り、人間性と生命力を取り戻し、ますます混沌的になっていくこの世を、負けずに生きいきと、生きていくに如くはない、と思う。
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年末に、Twitterの代わりに。 [独白]

☆本当はオペラ(歌劇・楽劇)というものは、直接劇場へ足を向け、眼と耳とでその素晴らしさを生で味わうものなのだが、生憎オペラを見に行く時間もチャンスも予算もない私たちは、CDやらDVDやらを買い、それを観て堪能するしかない。


☆ところが私、銀鏡反応個人といえば、CDやDVDすら購入する費用すらままならない。仕方なくネットの情報なんぞを読んで、これは観たいと思う歌劇・楽劇のあらすじの断片を、頭に書き込んでいくしかなかった。

☆そこへたまたま、NHKFMが2010年夏のバイロイト(Bayreuth)祝祭劇場公演のライヴ録音を数日に亙って放送しているのを聴けた。何気なく、何時もAMで聴いているラヂオをFMに切り替え、NHKFMに周波数のダイヤルを合わせると、男女の素晴らしいデュエットが聞こえてくる…。

☆いったいこれはなんのオペラだろうと思い耳を済ませているうちに、時折YouTubeで断片を視聴しているあの作品だと、わかってきた。これは楽劇「ニーベルングの指環」(The Ring)の第2夜・「ジークフリート」のラストシーンだったのだ。怖いもの知らずの若者ジークフリートが、運命の女性ブリュンヒルデと出会い、二人で壮麗な愛の二重唱を奏でているところであった。今思えば全幕聴けなかったのが残念だ。

☆次の日はRingの第3夜「神々の黄昏」。これは第2幕、ブリュンヒルデ、グンター、ハーゲンの復讐の三重唱から聴き始めて、最終幕に入る。最終第3幕の、ラインの乙女達の嘆き、ジークフリートの死と彼の『葬送行進曲』、ブリュンヒルデの自己犠牲、そして『愛による救済のモティーフ』まで、一気に聴いた。

☆ことにジークフリートがハーゲンに「思いだし薬」の入った酒を飲まされ、ブリュンヒルデの出会いをはっきりと思い出してしまい、そこでハーゲンに弱点の背中を槍で突かれて絶命するシーン、そして愛するものを失ったブリュンヒルデの「自己犠牲」までの悲しくも美しい絶唱、最終場面の「愛による救済のモティーフ」はとてもよかった。…「権力」への欲望によって荒廃しきった世界を、英雄と女騎士を荼毘に付す紅蓮の炎が焼き尽くし、そこへラインの大洪水が巻き起こり、全てを洗い流し、世界を言わば「リセット」する場面を頭の中で思い描きながら、ラストのクライマックスを聴いていた。

☆そのあと、Ringでリヒャルト・ヴァーグナーが伝えようとしていたのは何だったのか、これまで何度も色々自分なりに考えてみたが、今回楽劇を耳にして、改めて考えてみた。

☆結局、というか、やはりというか、あの楽劇4部作は「権力と富に妄執する欲望が醸す『悪魔性』が、如何に我々をして最終的に滅びに至らしめるか」というのを、彼は神話や伝説の登場人物を使い、メタファー(比喩)として表現したのだろう。

☆Ringの劇中人物はみな各々その『悪魔性』によって他者を傷つけ、しまいには自分をも滅ぼしていったわけで、これは現実の我々の世界でしばしば見かける醜い所業でもあるのだ。滅びなかったのは「自然」や「抑圧されてきた民衆」のメタファーである「ラインの乙女たち」ぐらいだった。第3幕のクライマックス、ブリュンヒルデがジークフリートを荼毘に付す炎の中へ飛び込む際に、彼女達に指環を返したことは、これまで収奪してきた自然に対する人間世界側の贖罪を表現していたのだろう。

☆「神々の黄昏」で利己的な自己愛に偏執していたブリュンヒルデは、この第3幕の最後で漸くこの『ラインの乙女達に指環を返す』という「利他」の行動をした。結果、世界は浄化され、諸々は救済されゆく。「愛による救済のモティーフ」を耳にしつつ、指環を巡る欲望の犠牲になって死んだ英雄と乙女も救済され、最後は宇宙微塵に溶け込んでいくというイメージを思い浮かべていた。

☆その翌日は『ローエングリン』だったが、聞き逃した。ので、『ニュルンベルグのマイスタージンガー』を全幕聴く事に挑戦した。フトンに入ってラヂオを聴き、眠らないよう懸命に耳をそばだてていた。

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クリスマスの夜に。 [独白]

@今宵はクリスマス本番。町じゅうに煌くイルミネーションも一層華やぐ夜だ。自分は、といえばそんなきらめきとは無縁の、地味で平凡な夜を迎え、今こうしてPCの前でキーボードを打っている。

@昼間は上野。ふと動物たちを見たくなって、動物園に木戸銭を払って入っていった。いろんな生き物を見る。鳥、アジア象、サル山、エミュー、フラミンゴ、小さな獣類、コビトカバ、不忍池に来る水禽、爬虫・両生類館の珍獣たち。誰も彼も、思いがけない動きやしぐさをする。見ていて飽きが来ない。

@冬の不忍池は枯れた蓮と葦の群生の間に、白鷺や五位鷺、白い鴎たちや他の水禽たちの姿が見える。白鳥のお尻を嘴でつまんで追い出すマガン(真雁)を見た。おいおいおい…!と思ったが、白鳥が雁たちのテリトリーに入ってきたからかも知れぬ。

@黒い頭に白ほっぺたの四十雀雁が、池の岸辺から一瞬、アスファルトの歩道にはみ出した。お尻を振ってトコトコ歩く姿が愛らしい。

@上野を出て、5時ごろ帰宅。人間圏の世界がどんなに“狂気の混沌”に包まれようと、自然の摂理に従って生きてきた、鳥獣たちには無関係だ。…否、待てよ!そんなことはない。

@産業革命以来、人間圏が長年醸してきた混沌から来る“狂気”が、今や地球温暖化、人為的開発等々、といった「生き物たちには見えざる暴力」となり、彼等の生活圏を脅かし、滅ぼしつつある。

@そして、その狂気は、廻り巡って、我等人間の生活圏を侵食し、不況、格差拡大、貧困、生活難、精神病変の増加、果ては社会崩壊、テロリズム…といった、様々な形で現われてきている。現在は地球にとって危機の時代だ。

@我々人間(ホモサピエンス・サピエンス)を含めた地球上の生物全体にとって、おそらく来年は「運命の一年」になるやも知れぬし、ならないやも知れぬ。とまれこの先、大量絶滅を免れるか、それとも其の侭絶滅に向かうかは、ひとえに、我々一人一人の心がけに掛かっているといえよう…。
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今日で霜月も終わり。 [独白]

@嗚呼、今日で霜月・11月も終わってしまう…。思えば今年・2010年もあと1箇月となろうとしている。正月が来た、と思ったらもう年末だ。時の経つのは早いものだ。

@それにしても、今月は自分にとってはトテモ長く感じられた。例の尖閣ヴィデオ事件や北朝鮮による韓国・延坪島(よんぴょんど)への激しき砲撃事件、歌舞伎役者・市川海老蔵殴打事件、そして今欧米中心に問題のWikileaks(ウィキリークス)による米国機密公電流出事件など、いろんなことが起こった所為もあるのだろう。

@ところで、これは私事(わたくしごと)だが、右目の涙腺近くの白目部分に血がにじんだような、変な充血が見つかった。涙腺から微妙に離れた白い部分にそれは出来ていた。この充血は以前にも同じようなところに出来た事があり、そのときは2、3日で程なく消えた。今回もそういう充血だろう。

@10月に献血した所為なのか、今月に入ってから何気に心身の調子が悪い。鬱病、といった大げさなものではなく、あくまでも気のせいなのだと思うが。

@午後9時にTV東京「開運なんでも鑑定団」を視聴。今週のゲストはなんと!かの脳科学者・茂木健一郎氏。お宝鑑定番組にこの人が出るのは非常に珍しい。

@で、氏が持ってきたお宝は、若き日に氏が神田(といっても神保町だと思われるが)の古本屋の2階で買い求めた夏目漱石の水彩ハガキ画。鑑定額が何と40万円。本人評価額が確か200万円だったがその5分の1の鑑定額だった・・・・・・。

@鑑定士によると、ハガキは裏表合わせたものでないといい値段にならないそうだ。茂木氏が持ってきた漱石のハガキ絵は表をはがして台紙に貼り付けてあったものだった。唯一漱石の真筆かどうかの手ががりは、画の横に、漱石と親交のあった画家・津田青楓による署名のみとか。それに、今の時代は漱石の残した画は相場がトテモ安くなっている、とや。

@番組で茂木さんが「この画が呼んでたんですよ」というと、MCの島田紳助に「呼んでたんは画やない、おっさんが呼んでたんですよ」。すかさずツッコミを入れられるシーンを見て、思わず笑ってしまった。
茂木さん、すいませんm(_);m

@その後TBS「リンカーン」を見る。今週は芸人たちがオリジナルどんぶり作りにトライするという企画。TKO木本や博多華丸、カンニング竹山などが自分のオリジナルどんぶりを作ってコンペティションすると。

@…かくて、霜月最後の夜は更け行く・・・。
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北が・・・。 [独白]

★北朝鮮が、黄海側の韓国領の島・延坪(よんぴょん)島を一昨日いきなり襲撃。曲がって落ちる砲弾を何発も打ち込み、島を破壊した。韓国側もこれに応戦、凄まじい銃撃戦となり、結果、軍関係者2名、民間人2名の計4名が亡くなった。ソウルでは亡くなった軍関係者2名の追悼式がすぐに行われ、深い悲しみに暮れる遺族や他の軍関係者が遺影に花を掲げていた。

★…上の事件に関わる一連の報道を、私は一昨日からTVやツイッターなどで見聞きしていた。一様に疲弊した表情の避難民、韓国政府の動き、北朝鮮国営TVの居丈高なアナウンス、etc,etc,・・・もう本当にえらい事になっちまったなぁ。休戦協定をまるで一方的に破ったかのような、延坪島への「宣戦布告なき攻撃」。

★日が経つにつれ、島の被害の様子が伝えられた。それによると、かなりの大きな被害だという。ニュース映像を見ると、そのことが実感できた。

★一瞬にして平和な家々は、あるいは焼け、あるいは壁に銃弾を打ち込まれ、またあるいは爆撃で吹き飛ばされ、おおかた瓦礫の山と化してしまった。人々はこの北朝鮮の、いきなりの暴挙に、怒りと戸惑いを隠せないでいるようだ。

★1950年の韓国動乱(朝鮮戦争)以来、北と南に分かれてしまった二つの国。38°線を境に分断された韓半島。引き裂かれた肉親、友人同士、恋人・・・彼等はどんな思いで別れなくてはならなかったのだろう、その思いを察すると胸が締め付けられるようだ。

★今回は諸外国に比べて、初動が送れたと批判されている日本。首相も今回のことを「報道で知った」と言っていたが、本来なら報道される以前に情報をつかんでおかなくてはならないのに・・・ねぇ、御同輩。
(それにしても、周知なのだが金正日・正恩父子が延坪島の下見にきていた、というのには仰天。・・ということは、今回の砲撃は予め彼等によって準備された計画的なものだったのか。何とも許し難い。)

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霜月到来。しかし…! [独白]

@ゴロ、ゴゴゴゴ…ゴロロロ…ドドーン…!


@2010年の11月は朝の雷であけた。雷鳴を聞きつつ、まだ寝ていたいのに起きなければならないなんて、と心の中でつぶやきながらフトンをたたんで洗顔、朝食、着替え、そして出勤。鉛灰色の空から雨粒が落ちてくるのを、心のどこかで恨めしく思いつつ、合羽を着て自転車に乗り、自宅の最寄の駅へ。そこから、現場のある町の駅まで20分くらい揺られる。

@揺られているうちに、すっかり寝過ごし、現場の最寄駅の1個先の駅まで来てしまう。慌てて乗り換え、現場の最寄駅まで戻る。駅から出てまた20分ほど歩くと、やっと現場に着く。

@仕事をしている間に、空を覆い隠していた厚い灰色の雲は消え、帰る頃には秋空らしく、雲ひとつなく澄んだ青空になっていた。

@そんな青く澄んだ空を見ながら、ここ数日心の中に吹きだまっていた、憂いともつかず悩みともつかず、何とも云い難い重たい気持ちが、いくらかは軽くなっていくように感じた。

@今日から霜月、11月。明日からは秋の青空を心の鏡に映しながら、明るい気持ちで頑張ろうと思う。
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twitter代わりのつぶやき(←好い加減にしろよ!!) [独白]

☆今日も元気で明るく、またつつがなく行こう!…と起きたら8時。昨日アキバ(秋葉原)の献血センターによって400ml献血をしにいった。その後で寝てしまったので、朝風呂に入ってシャワーを浴びた。

☆TwitterのTL(タイムライン)を見る。いろんなつぶやきが乗っかってきているなぁ。自分はNHK教育「日曜美術館」の荻原碌山と中村屋創業者の一人・相馬黒光との秘められた愛のエピソードと碌山芸術の紹介をツイート。う~ん、濃いなぁ。碌山が彼女と初めて出逢ったとき、すでに相馬愛蔵の妻となっていた黒光。

☆この時から碌山の運命が変わったという。碌山にとって、彼女はまさにファム・ファタル(運命の女)だった。

☆碌山が芸術家を目指したのは、知識と教養に溢れ、芸術に精通していて、なおかつ野心的で、ゆえに女学生時代は「アンビシャスガール」といわれた黒光の影響が大きい。彼女に惹かれ、彼女を愛しつつ、彼は後に日本の彫刻界に革命を起こした…。僅か30年で没する直前に黒光への愛の絶唱「女」を完成させる。碌山が死した時、黒光は彼の棺にすがって泣きつづけた、という…。

☆昨日は新宿・若松河田方面を散策。旧小笠原邸を発見。なんと、都営大江戸線若松河田駅のそば。何時かは来たいと夢に見た、スパニッシュ様式の瀟洒な異国情緒溢れる建物は、今は高級レストランとなっている。

☆1927(昭和2)年の竣工。戦火と、その後の風雪を耐えて、今に残るこの美しい建物は、ステンドグラスでも有名で、本邦初のステンドグラス作家・小川三知の手になるものだと言う。

☆相馬黒光と中村屋で思い出したが、あの新宿本店の名物印度カリーをここ暫く食べてないなぁ。(´ε `);そのカリーをパン生地で包んで油で揚げたおいしい『カリーパン』も。

☆河田町の小笠原邸の話に戻る。庭には鬱蒼とした木々が立ち、金木犀の香りが何処からともなくほんのりと漂っていた。有名なハートやおうむなどのモティーフを使った円筒状の壁に取り付けられたタイル装飾に眼を奪われる。

☆建物の裏側に回って、咲き乱れる草花を見つめつつ、裏に開ける瓦礫ばかりの空き地に通ずる、これまた瓦礫と土塊ばかりの坂道を降りていくと、余丁町と言うところに出る。そこから大回りして市ヶ谷に戻り、やっとこさ帰途についた。

☆余丁町の裏通りを散策しながら、路地のブロックに飾られた花々に心を奪われる。秋のやさしい風に揺れて、一人咲く薔薇を見たとき、香りをかいで見たくなり、かいだら愛の香りがした。

☆愛を掌る女神はヴィーナス、薔薇は彼女の愛する花、彼女の化身…。私はそのとき、ヴィーナスの歓待を受けたのかもしれない。無論これも我が脳内の仮想による。

☆街を散策しながら、嗚呼、我も愛にいだかれていたい…とふとロマンティックな仮想を脳内で発生させている自分がいた。秋ゆえに切なさも伴う愛への渇望。おお、我もまた人と同じように人の愛を受けたがっているのだ…!

☆そんな気持ちを抱いたまま、市ヶ谷方面までとことこ歩き、やっとこさ、帰途に着く。

☆でもって、朝起きて朝食を取り、TVを教育テレビに合わせたら、「日曜美術館」。碌山と黒光のかなわぬ純愛のエピソードが。愛は絶望的な障壁があればあるほど純粋なものに高められるのか…。相思相愛であったのに、何をやってもかなえられない純愛を、碌山は僅か30年の生涯の終わりに一つの作品に込めた。その絶作「女」は、彼のファム・ファタル、黒光の姿をしていた。

☆若し自分にとって、運命を変える存在が我が目の前に現われたら、果たして碌山のように、壁があってもその相手を愛しつづけられるだろうか??
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体育の日。 [独白]

@本日は晴天なり、あーあー、本日は晴天なり…。夜があけたら晴れる。体育の日。


@昔はきまって10月10日、つまり昨日が体育の日だったなぁ。


@そういえば…若い世代よりも年配者のほうが、年々、体力が上がってきているらしい。これは20年くらい同じような傾向が続いているという。これには、出来るだけ介護を避け、健やかに長生きしたいという健康増進ブームも関係しているようだ。

@若い者も小学生を中心に上がってきているが、いまだに19歳までの体力向上の度合いは全体的に低いらしい…。小学生については、学校での適切な指導も効果をあげてきているらしいが…。

@とまれ、老人たちが体力をつけ、子どもの体力は低下傾向にある、というのは、当分続くかもしれない。


@ところで、自分は、土曜の半ドン仕事が終わった後、出来るだけ歩く事にしている。そうしないと、体力の維持もできかねるし、何と言っても運動不足になる(普段、ただでさえ運動不足なのだから、土曜ぐらいは動かなくてはならぬ)。

@今のところ東京都23区内をぐるぐる回る感じだが、たまには郊外へと出てみたい。それも吉祥寺より先に。うむ?そこで思い出したが、吉祥寺へはここ最近、足を運んでいない…。昔はしょっちゅう、訪れていた思い出の街なのに…。

@年を取ったのか、何故かそんな遠くへ行くこともなく、東京23区内をぐるぐるぐるぐる、土曜の午後にめぐってばかりの自分が今、ここにいる。あ~。
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